友との別れに涙したり、新たな生活に胸を躍らせる−−。そんな学生たちの卒業シーズンが到来しました。『INSIDE GRAMPUS』では、卒業式を迎えたばかりの6選手にショートインタビューを実施。最終回は早稲田大学を卒業した相馬勇紀選手に、“青春の1ページ”について語ってもらいました。
隙間の時間を使って、
東京の街を探索していました。
―本日(取材日:3月26日)が早稲田大学の卒業式だったのですね。
そうですね。行きたかったです。ちょうど今ごろは式が終わって、みんなで食事に行っているんでしょうね(笑)。でも、この前にプライベートで東京へ帰って、同期の友達には会ってきましたよ。
―同期生との別れは寂しさがありましたか?
いや、そういう気持ちにはならなかったです。ただ、「学校生活がすべて終わっちゃったんだな」とは思いましたね。在学中は、まさか自分が「学生生活が終わる」ことにしみじみするとは思っていなかったです(笑)。大学での4年間は過ぎるのが早かったですね。とはいえ、4年生の1年間は長く感じたように思います。
―なぜその1年間を長く感じたのですか?
早稲田のサッカー部は本当に学生主体で運営しているんです。4年生になると、やることや考えることが増えるんですよ。毎日チームのことを考えていましたし、相手チームの分析のような仕事もたくさんありました。4年生はサッカーだけをやっていればいいわけではなかったんです。例えば下級生を指導したりと、いろいろな立場や役割がありました。だから、長く感じたんだと思います。その分、充実していましたけどね。
―大学の4年間で一番楽しかったことは?
サッカー以外だと卓球ですね。卓球の授業を取っていて、毎回楽しみにしていました。15回の授業を常に全力でやっていたので、結構うまくなりましたよ(笑)。卓球部の子に教えてもらうこともありました。
―卓球部の友人に勝てそうなチャンスは?
それは無理でした(笑)。早稲田の卓球部には国内トップクラスの選手も在籍しているくらいですから。その子も相当強かったです。
―プライベートの時間は少なかったですか?
プライベートの時間がなかったわけではないですよ。外に出かけるのが好きなので、時間を見つけては新宿や神楽坂、高田馬場あたりに足を伸ばしていました。カフェでゆっくりしたり、サッカーに影響しない程度でおいしいご飯を食べたり。特に4年生になると授業が少なくなるので、隙間の時間を楽しんでいましたね。
―新しくお店を探すのは好きでしたか?
そうですね。所沢キャンパスに通っていた時は多くなかったですけど、東伏見キャンパスや早稲田キャンパスに行くことが増えてからは、お店探しが一つの楽しみになってました。やっぱり東京はいいですよ(笑)。
―お気に入りのお店は見つかりましたか?
飯田橋にあるデザート屋さんが良かったです。シューアイスがとてもおいしいんですよ。プリンもオススメですね。ここでデザート食べてから、練習に行くこともありました。どちらかと言うと、僕は甘党なんですよ(笑)。もちろんコンディションが一番大事なので、好きなだけ食べることはないですけど。やっぱり東京はいいですね(笑)。
―ちなみに、大学時代はどのあたりに住んでいたのですか?
東伏見の寮に住んでいました。二人部屋で、毎年同居人が変わるんです。3年生までは違う学年の人と同部屋でした。1年生の時は3年生と、2年生の時は4年生と、という感じ。同期と住んだのは4年生の時だけでしたね。どの年も楽しかったです。
―一緒に住む寮友とは、他の同級生よりも親密になるのでしょうか?
そうですね。最後に一緒だった同期の友達とはよくご飯を食べに行っていました。その友人はチームを統制する役割である、新人監督という役職を任されていたんです。僕は思ったことをすぐに口に出してしまうタイプなので、たまにぶつかることもありました。その時は気まずさもありましたね。ただ、小学校6年生の時から知ってる仲なので、全く問題はなかったですよ。周りからは「あの二人は仲良くない」みたいなことを言われていたんですけど、全くそんなことはなかったです。先輩で言うと、1年生の時に同部屋だった小林大地さんにはすごくお世話になりました。今は東京武蔵野シティフットボールクラブでプレーしています。普段は優しいんですけど、時には厳しいことも言ってくれる人で。卒業後も二人でご飯に行くくらいの仲になりました。あとは3年生の時に、当時1年生だった梁賢柱(リャン・ヒョンジュ)とはめちゃくちゃ仲良くなりました。二人でよくご飯を食べにに行きましたし、実家の焼肉屋に連れて行ってもらったこともありましたね。彼は世代別の北朝鮮代表にも入っている選手で、この前は公式戦で10番をつけてプレーしていました。頑張ってほしいですね。
―上下関係は厳しかったのですか?
部としての活動中はしっかりしていましたけど、プライベートではあまりないです。みんな仲良かったと思いますよ。例えば食堂では、いつも学年に関係なく一緒になって食事していますしね。
早慶戦は何年経っても忘れない
学生スポーツの良さが詰まったイベントでした
―それでは学生時代で「これぞ青春」というイベントは?
やっぱり早慶戦ですね。あれはもうお祭りですよ。とにかく多くの人が集まるんですけど、その人を集めるのも学生がやる、というところに青春感がありました。広報活動も学生がやるし、広告を取りに行くのも、プロモーションビデオを作るのも学生です。ナオト・インティライミさん、加藤ミリヤさん、AIさん、Monkey Majikさんといったアーティストの方にも来ていただいたんですけど、それを調整したのも学生なんですよ。学生スポーツの良さが詰まったイベントだと思います。
―どれくらいの来場者が集まったのですか?
僕が4年生の時は17,800人も集まって、すごく盛り上がりました。学生の試合で、あれだけの人に見てもらえることはほとんどないですから。大勢の観客の前で、この空間を作った人たちの想いを背負ってプレーできたことは本当に幸せでしたね。応援部が応援に来たり、普段はサッカー部の試合を観に来ない人たちも来てくれたり。等々力陸上競技場がえんじと黄色でいっぱいに埋まるんですよ。この日のことは、何年経っても忘れないと思います。今は「やりきった」という想いが強いですけど、いつの日か「あの場所でもう1回プレーしたい」と思うかもしれないですね。
―在学中に得た宝物は何ですか?
大切な人たちに出会えたことかな。以前の僕には、サッカー面で少しやんちゃな部分がありました。そんな僕をプロでもしっかりと戦える人間に育ててくれたのは、間違いなくここまでに出会った人たちです。特に同期とは、ぶつかり合いながら成長できたと思っているので。僕を支えてくれる人との出会いが大学生活の宝物ですね。
―同期の友人とぶつかることは多かったのですか?
思い返せば、よくぶつかっていましたね(笑)。例えば3年生の時、僕が審判に抗議をしてしまって、イエローカードをもらったことがあったんです。その後、古賀(聡)監督(現名古屋グランパスU-18監督)にはめちゃめちゃ怒られましたし、同期からもかなり言われました。「自分たちが最上級生になった時にそういうことをやっていると、下の学年は話を聞かなくなるぞ」と。そうやって僕が思ったことをすぐに口にするのが原因で、ミーティングではいろいろな指摘を受けていました。
―ミーティングの場で指摘されるのですか?
そうです。その時は間違いなく自分が悪いと思っていたので、みんなからも指摘されることは分かっていました。ただ覚悟していても、実際に言われると苦しかったですね(苦笑)。でもそういう経験があったからこそ、自分は変わることができたと思います。だからこそ、今の自分があるのだとも思いますし。ミスをした時は誰かのせいにせず、まずは「自分には何が足りないのか」と考えるようになったのも大学生活で得られたものですね。
―これからサッカー選手という職業で、社会人としての生活が始まります。どのような選手になっていきたいですか?
クラブからもサポーターからも愛される選手になりたいです。人としても尊敬されるサッカー選手になっていきたいと思います。