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【夏休み特別企画】ぼくたちのなつやすみ(櫛引一紀、青木亮太編)

168月

8月といえば夏休み! 花火をはじめ、お祭りや海水浴、キャンプと、誰にとっても忘れられない思い出のあるシーズンなのではないでしょうか。そこでINSIDE GRAMPUS編集部は、選手たちの“夏休みの思い出”を調査。「ぼくたちのなつやすみ」と題してインタビューを実施しました。第2回は櫛引一紀選手と青木亮太選手が登場!


櫛引一紀選手


―名古屋と比べて、北海道の夏は涼しいですか?

当時は暑いと思っていましたけど、こっちと比べると全然暑くないですね。僕がいたところは暑い日で30度くらいだったと思います。風が冷たいのが名古屋との違いですね。名古屋の夏は本当にしんどいです。この暑さで動いちゃだめですよ(笑)。すぐに肌が真っ赤になりますしね。いつまで経ってもこの暑さには慣れないです。


―夏休みといえば、どのようなことが浮かびますか?

プールの思い出が強いですね。『サンパレス』っていうところに、小さい頃に何回も行っていました。ウォータースライダーとかがある、大きいプールです。家から1時間くらいのところにあって、家族みんなでよく行っていましたね。


―一番楽しかった夏休みはいつですか?

高校生の時です。サッカー部で合宿にいって、夜もみんなと一緒にいるのがめちゃくちゃ楽しかったです。合宿所は函館で、周りに何もないところでした。練習はひたすら走るからきつかったですし、いい思い出はないです(笑)。ただ夜は本当に楽しかったです。みんなで布団をくっつけて、いろいろな話をしていましたね。


―小学生時代の櫛引選手を教えてください。

勉強はほとんどしないで、ひたすら遊んでいる少年でした。近所に大きな公園みたいなところががあって、サッカーとか鬼ごっこ、缶蹴りをして遊んでいました。家の中で遊ぶというよりも、ずっと外にいましたね。


―宿題は先にやるタイプですか? 最後にやるタイプですか?

先にやるタイプです。最初にやっちゃって、あとは遊びまくった方がいいじゃないですか。人に写させてもらわずに、ちゃんとやっていましたよ。兄ちゃん、姉ちゃんに教えてもらったりはしましたけどね。


―少年時代のサッカーの思い出は?

ひたすら試合をしていました。小学生の時は特に休んでいた記憶がないですね。練習が毎日あったわけではないと思うんですけど、サッカーばっかりしていたイメージがあります。あとは合宿にもいきました。でも高校の時みたいにきつかった思い出はないですね。すごく急な坂道を自転車を押しながら登って、そこから全力で漕いで、勢いをつけて下るっていう遊びが流行ったのを覚えています。夏休みといえば自転車のイメージかもしれないですね。自転車一つでいろいろなところにいけるので。みんなで森みたいなところを走り回ったりしました。今考えると何が面白いんだろうって思いますけどね。


―一番大変だった練習は?

それこそ函館合宿の走りです。バスで宿舎まで行くのはいいんですけど、そこから監督に「海辺で走るからそこまで走りな」って言われて。それがめちゃめちゃ遠いんですよ。海辺に着いてからたくさん走ったのに、帰りも宿舎まで走りでした。監督は先にバスで帰っちゃうしで、本当にしんどかったです。


―地元ならでは夏のイベントはありましたか?

港まつりっていう、名前の通り港でやる大きめのお祭りがありました。小さい街のお祭りなので、行ったら知り合いに会う確率が高くて。知り合いしかいないんじゃないかと思うくらいでした(笑)。毎年8月くらいにやっていて、学生の頃はほぼ毎年行っていました。屋台があって、花火も少しある感じのどこにでもあるお祭りだと思います。


―自身にとっての「夏の曲」といえば?

ケツメイシ! ライブに行ったりするくらいハマりましたね。盛り上がる曲が多いですし、特に夏はずっと聞いていました。パッと出てくるのは『ドライブ』とか、『夏の思い出』とかですね。


―北海道だと熱中症はあまり話題にならないのでしょうか?

どうですかね。北海道で熱中症になった人の話はほとんど聞いたことがないです。ただ僕自身は、汗をかく時はとにかくスポーツドリンクを飲むようにしていました。みなさんもスポーツドリンクで熱中症対策をしましょう!


―今夏休みがあったらどのようなことをしたいですか?

みんなでプールに行きたいです。それこそ、ナガシマスパーランドとかに行って、みんなで遊びたいですね。オフの日に行きたいなとずっと思っているんですけど、みんなもそれぞれ予定があるのでなかなか行けずにいます。願望ですね。


青木亮太選手


―青木選手にとって、夏休みといえば?

とにかく暑い。後は小さい虫がたくさん飛んでいるイメージです。サッカーしかやっていなかったので、遊んでいた記憶はないですね。僕に夏休みなんかなかったです(笑)。


―家族旅行のようなイベントはあったのでは?

冬ならありましたよ。家族の休みが合うのは冬だったので。夏に休みが合わないというわけではないんですけど、家族みんながスポーツをやっていて、そっちを優先していました。夏はどうしても試合とか大会が入ってきちゃうので、何かをしたり、どこかに行った記憶はないですね。忙しい夏休みでした。


―夏休みのサッカーにはどのような思い出がありますか?

とにかく大会と練習試合がたくさんありました。それこそ全小(全日本少年サッカー大会)もありましたしね。優勝したんですけど、僕は全然活躍しなかったです。高校生の時にはプレミアリーグもありましたね。


―夏特有の厳しい練習はありましたか?

練習がきつかったのは冬です。よく走り込みをしていた思い出があります。夏はとにかく連戦がきつかったですね。多い時は1日に4、5試合組まれていました。2試合出るのは確定で、場合によってはそれ以上出る時もありましたよ。


―小学生の頃の青木選手はどのような少年でしたか?

明るかったですね。今とは真逆で……(笑)。


―夏休みの宿題はいつやるタイプでしたか?

最後まで貯めていましたね。ちょこちょこ手はつけるんですけど、最後まで残ってしまう感じでした。サッカーで忙しいのもありましたけど、何よりやる気が起きないんですよ。先にやった方が楽なのは分かっているんですけどね。


―これまでで一番楽しかった夏休みはいつですか?

うーん、高校までずっとサッカーばっかりだったので……。プールに行った時は楽しかった思い出があります。忙しかったので、年に1回行ったか行かないかくらいですけどね。中学生の頃は練習場の近くによみうりランドっていう遊園地があって、そこに行ったりする人もいましたけど、僕は行かなかったですね。


―地元ならではイベントはありましたか?

おばあちゃんが住んでいたところの近くでやっていた、小さなお祭りくらいです。盆踊りとか、ちょっとした花火がある普通のお祭りです。今思い出したんですけど、毎年家族で行っていた気がします。おばあちゃんの家に行って、ご飯を食べて、お祭りに行く。これが夏の最大のイベントだったかもしれないです(笑)。