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【高校サッカー選手権企画】“国立“を目指した男たち(赤﨑秀平編)

2212月

日本サッカー界の冬の風物詩である全国高等学校サッカー選手権大会。“選手権”の愛称で親しまれる同大会は多くのサッカー少年の憧れの舞台であり、グランパスの選手たちも決勝戦が行われる国立競技場を目指してプレーしてきました。30日(月)から開催される同大会にちなみ、『INSIDE GRAMPUS』では出場経験を持つ3選手にインタビューを実施。第1回では「選手権」と「高校サッカー」をテーマに、第87回と第88回大会に出場した赤﨑秀平選手のインタビューをお届けします。


インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部


―近年はクラブユース出身の選手も増えてきていますが、赤﨑選手は佐賀東高校の出身です。高校の部活を選んだ理由を教えてください。

九州地方の地域性だと思うんですけど、高校サッカー文化が根強いんですよ。当時、Jクラブはアビスパ福岡と大分トリニータがあって、サガン鳥栖がJ2に入りたてくらい。ユースより高校でのプレーを選択する選手が多かった時代でした。鹿児島実業や東福岡、大津、国見など、全国レベルの強豪校が九州の各県にあって、僕が子どもの頃はちょうど鹿実や国見が強い時期でした。九州勢の選手権での活躍をテレビで観てきていたので、ユースに行く選択肢は自然となくなっていましたね。今の時代だと理解されづらいかもしれないですけど、「ユースに行くか、高校に行くか」という選択肢ではなく、「どの高校に行くか」だったんです。


―強豪校の多い九州の中でも、出身の鹿児島県は特に激戦区というイメージを持っています。

歴史的に、県内の有力選手はみんな鹿実に進学していたんです。ただ、ちょうど僕が高校に進学する頃から鹿児島城西や神村学園が強くなり始め、古豪一強時代が変わりつつある時代になっていました。日本代表や海外サッカーの影響も強いと思うんですけど、「こういうサッカーをしたい」というスタイルが各高校に出てきて、その中から選ぶ時代に変わっていたと思います。


―そういった変化の中で佐賀東高校への進学を決めた理由は?

中学校の時に、パルティーダ鹿児島というクラブチームに所属していたんです。そこの監督と佐賀東の監督が福岡大学時代の同級生で、そのつながりですね。パルティーダ鹿児島が大会でいい成績を収めるようになり、いろいろなチームに進む選手が増える中、僕は監督同士のつながりもあって佐賀東に進学しました。

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