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【わたしと、瑞穂スタジアム】vol.13 シンゴ×カズヤ(サポーター)「瑞穂は家のような場所」

1112月

名古屋グランパスのホームスタジアムとして愛されたパロマ瑞穂スタジアムは、

グランパスの初陣から29年に渡り、数々の名場面を生んできた。

改築工事に伴う休業を前に、“聖地瑞穂”と共に歩んだ関係者たちにインタビューを実施。

第13回はゴール裏から長年後押しし続けているサポーターのシンゴさんとカズヤさんを取材し、

パロマ瑞穂スタジアムでの思い出や感謝の想いを語ってもらった。


ーいつからグランパスを応援し始めましたか?

カズヤ 一緒に観ていたわけではないですが、お互いにJリーグが開幕した頃から行っています。


シンゴ そうですね。今のような形で一緒に応援するようになったのは2001年くらいからですね。


ーそれでは瑞穂にはJリーグ開幕から通われ続けているんですね。

カズヤ ただ、当時から全試合に行っていたとういうわけではありません。最初は年に4,5回くらいで、それが10回になって、いつの間にか全試合になっていたという感じですね。


シンゴ 最初の頃は本当にチケットがなかなか取れなかったんですよ。


カズヤ 2万人以上入っていた時もありましたからね。見始めたのはきっかけは普通の人と一緒です。当時は「応援するぞ」みたいにスタートしたわけではなく、「楽しそうだな」から始まって「楽しい」に変わり、「もっと応援してみよう」となっていきました。


シンゴ 自分たちぐらいの年代の人はそうだと思いますが、日本サッカーリーグと言われる時代からサッカーを見ていたし、自分たちもやっていた。その中でJリーグができる、名古屋にチームができるとなったのでじゃあ見に行くか、みたいなスタートでした。


ー約27年間通い続けている瑞穂スタジアムが改築されると聞いた時の率直な感想はいかがでしたか?

シンゴ 素直に今の瑞穂がなくなることに対しての寂しさはあります。ただ、工事期間が長いですし、自分たちにはここから先の2026年までにどういうふうに動いていくのかが漠然としているので難しいですね……。


カズヤ 改築されると聞いた時は、古いスタジアムがきれいになるのはいいことだと思いました。ただ、完成するのが2026年となった時に急に寂しくなりましたね。今年の始め頃まではなんとも思っていなかったんですけど。いざ別れが近づくと「そんなに長い期間行けなくなるのか」と寂しい気持ちが湧いてきました。珍しく写真を撮ったりしましたね(笑)。


ーたくさんのスタジアムを見ているお2人から見た瑞穂スタジアムの特長は?

カズヤ 利便性というか、郊外にあるスタジアムも多いですけど、瑞穂は街中にあって、地下鉄の駅からすぐ行けることはすごくいいことだと思います。また、今はサッカー専用も含めて新しくてきれいなスタジアムがいっぱいできている中、照明スタンドがあって、屋根がなくて、開放感があるスタジアムという昔ながらの雰囲気もいいですよね。ひいき目もあると思いますが、同じような陸上競技場と比べても、瑞穂のほうがきれいというか、清々しい感じがしますね。


シンゴ スタジアムや周りの野球場なども含めて、街にあるみんなが利用するものが名古屋の中心にあって、そこでプロのチームが試合をしている。いい意味で街に溶け込んでるところはあるかなと思います。それにずっといるので居心地が良くて、家に近い感じですね。


カズヤ 20年以上通っていたら、感覚的にもうほとんど家と変わらないというか、慣れ親しみすぎてあまり深く考えたことはないですね。家に帰れば親がいて、兄妹がいてということを意識しないのと一緒で、いけば仲間がいて瑞穂があるのが当たり前で。


シンゴ 途中で豊田スタジアムができて比べられたりもしますけど、自分たちにとっては瑞穂が、ある意味本当に家のような感覚であるのは間違いないと思います。自分の実家とかもそうだと思うんですけど、年数が経っていろいろ壊れてきたり、あそこが汚いな、とかいろいろあっても、やっぱり戻ってくると落ち着つく。そういうのも含めて馴染む部分があると思うんですけど、それに近い感覚なのかもしれないですね。


カズヤ ホッとするというのは変な言い方かもしれないですけど、特別に温かいというか、古い建物の感じも含めて本当に家に近いと思いますよ。何回行っているか数え切れないですしね。


ー印象に残っている試合や出来事はありますか?

カズヤ いい時期も悪い時期もあったのでその年代にもよりますね。ただ、たくさん思い出深いエピソードがある中でもピクシー(ストイコビッチ)のラストゲームはすごい雰囲気でした。異様なまでの一体感というか、体の半分が一体化してるんじゃないかと思うくらい、スタジアムとみんなが一緒になっていた感じがありましたね。


シンゴ ここ最近こういう話が多くて振り返ることが多かったんですけど、自分がコールリーダーをやり始めた2002年頃を思い出しました。今は自分たちが声を送ったりすることで、力になれたりとか、支えられているとある程度感じる部分もありますし、そこに対していろいろ考えてやってきたんですが、当時はそんなことを感じるような状態ではなかったんです。そんな中でヴァスティッチという選手が2003年の大分戦(1stステージ第7節)の試合後にユニフォームをくれて、それが自分が今みたいな立場になってから初めてのことだったんです。それによって自分たちが伝えてることには意味があり、ちゃんと選手に伝わっている。それだけでなく、選手も自分たちに対して返したいというやりとりがちゃんとできているんだと、初めて感じさせてくれました。今考えると、その試合が今につながっているなと思います。その後も本当にいろいろあって、若い頃にはけんか腰になって試合後に少し殺伐とした雰囲気になったこともありました(笑)。そういういいことだけではなくて、いろいろなことをとおして成長させてもらったというか、当時はまだ20代後半に差し掛かったぐらいでまだ若かったし、余裕もなかったし、右も左もわからなかった。そんな中でいろいろな人や選手、ファンの人とやり取りをする中で大人にさせてもらったというか、勉強させてもらいました。


ーちゃんと伝わっているか不安だった気持ちを解消してくれた出来事だったんですね。

カズヤ 最初の頃はコールリーダーも定まらず、声も小さかったし、小規模でやっていたので伝わってるとかそういうレベルではなかったと思うんです。その中で少人数でも集まって、もう1回作りましょうと始めた時に、最初に応えてくれたのがうれしかったですね。ヴァスティッチのほかにもパナディッチという選手もいて、2人ともファンを大切にしてくれていましたね。


シンゴ たしかにそうだね。この試合は試合終了間際にヴァスティッチが決勝点を決めて、ベストプレーヤーに選出されたんです。試合後に1人でゴール裏に来てくれてユニフォームを渡してくれました。周りの人も手を出していたんですけど、「お前にやる」と直接渡してくれました。ヴァスティッチは契約の関係で移籍することが決まっていて、その試合が瑞穂での最後の試合だったんです。そうやって自分の最後の試合に行動してくれたこともうれしかったですね。また、ヴァスティッチが加入した頃はなかなかゴールを取れなくて、期待されている割には思ったような活躍ができていなかったんです。どうしてもゴールを取ってほしくて、横浜での試合の時に10分ほどヴァスティッチのチャントをずっと歌い続けたことがあったんです。結局その試合では点を取れなかったんですけど、チャントをやめた時に自分たちの方を向いて合図をしてくれたんです。そういうやり取りができたのも初めてで、いろんなことが初めての選手でしたね。最後に自分の気持ちをちゃんと伝えてくれたこともうれしかったし、自分たちが伝えていることに応えようとしてくれる選手がいることを感じられて、すごく意味があったなと思います。


カズヤ 僕がさっき言ったピクシーのラストゲームはそこにつながっている試合でもあるんですよ。当時は応援するグループがたくさんあって、僕たちも最初は仲良しこよしではなくて、別の応援のグループだったんですよ。ただ、ピクシーのラストゲームは、最後だからと言ってバラバラにやっていたグループが集まって一緒にやるようになったんです。一回ギュッと集まって燃え尽きたみたいな感じ。そういう意味で言うとシンゴがヴァスティッチから初めてユニフォームをもらったところの最初の最初というか。自分たちにとって宇宙でいうビッグバンみたいな出来事で、あれがなければ僕たちの活動が始まってもいなかったというくらいですね。


ー豊田スタジアムと瑞穂スタジアムの違いはどんなところに感じますか?

カズヤ 瑞穂は屋根がないので、声がまっすぐ飛んでいくような感覚がありますね。もちろん豊田スタジアムの声が反響する雰囲気も最高なんですが、瑞穂のほうがよりダイレクトに気持ちが伝わっている感じがします。陸上トラックはありますが、すごく近い感じはしますね。


シンゴ 瑞穂は高さがないので、試合前後に選手が自分たちの前に来てくれた時に同じ高さなので自分たちの声がちゃんと届いているような感じがあります。もちろんいい時もあれば悪い時もあるので、お互いに言い合う時もありましたけど(笑)。


カズヤ そういうふうになれたのも家みたいな距離感というか、そういう感覚があったからだと思います。目線が選手と近いですし、僕たちは瑞穂育ちなので特別な感じがしますね。


ーシンゴさんは瑞穂を「愛すべき場所」と表現されていました。

シンゴ いいことも悪いことも含めていろいろなことを経験して、自分で反省することもあったし周りから良くなかったと知らされることもありました。今は素直に聞く部分もあるけど、昔は反抗することもあって(笑)。子どもが大人になっていく過程ではないですけど、周りの方から教えてもらったりとかして人間として成長させてくれた。それに当時は学生だった子が今は大人になって結婚して子供ができたりとか、サッカー以外のことも含めて、それぐらい長い年数を過ごしているので、家族がたくさんいるような感じ。そういう意味で「愛すべき場所」という表現にしました。


カズヤ 当時子ども扱いしてた子が結婚します、と報告してくれたりとか。そういうことを聞くとそんなに経つんだと感じますよね。瑞穂スタジアムで大学の合格発表を見た子もいたりしましたね(笑)。そういうことを一緒に体験してきたので、本当に家に近い感覚ですよね。そこで知り合った人との関係もすべて瑞穂とつながっているので、ただの場所ではなく家のような気持ちがあるんだと思います。


シンゴ 本当に家族以上に家族のような存在ができたりとか、自分もいろいろ教えてもらったり、成長させてもらった部分があるので、特別とかそういうレベルではなく、単純に愛情でしかないというか。


カズヤ 好き嫌いを超えた愛情かもしれないですね。それは比べるものではないとも思いますが、瑞穂と一つになっている感覚は選手やスタッフよりも強いものがあると思います。選手やスタッフはここから出ていけますが、僕らはここの人間なので。


シンゴ 時間がそうする部分もあると思うので、豊田は豊田でいろいろな思い出がありますし、これから年数が経てば思い入れがより強くなっていくと思います。そういう意味では瑞穂は自分たちを最初から見ている場所。極端に言えば、血も汗も涙もすべてが詰まっているような感じだと思います。長い年月を一緒に過ごしてきたので、そこに対しての愛情は言葉では表現しがたい部分がありますね。


ー新しいスタジアムに期待することは?

カズヤ 今までの瑞穂はそこまでメジャーじゃないというか、名古屋市民でも行ったことがない人はたくさんいると思います。新しくできるスタジアムは名古屋市とグランパス、自分たちがしっかりアピールをして、名古屋のランドマークになるくらいまでにしていきたいですね。それと一緒にグランパスの人気がもっと出て、盛り上がっていけるようにしていきたい。欲を言えば全世界に発信できるくらいにできたらいいなと思います。


シンゴ 言い方は悪いかもしれませんが、今の瑞穂はもともとあったもの。ただ、今はある程度意見を言ったりして、そこに加わることはできると思います。なので「できたので使ってください」という形でなく、より名古屋市やグランパスの色づいたスタジアムにできればいいなと思います。


ー語り尽くせないとは思いますが、最後に瑞穂への感謝の気持ちをお聞かせください。

シンゴ 先ほども言いましたが、人として成長していく中で必ずあった場所だし、自分の中で何かあるたびにあの場所を思い出します。人として成長するための時間をもらったと思うので、そこに関しては感謝と言うのか分からないですけど、自分があの場所にいられて、関われて、感じられたことは自分にとって財産です。それを忘れることはないし、姿が変わっても語り継げるものはあると思うので、大事にしていきたいなと思います。


カズヤ 瑞穂が僕たちのスタート地点でしたし、最初は自分1人の考えだけで生きてたんですけど、たくさんの人と知り合って、自分も頭の中もどんどん広がってきました。そういった出会い、人とつなげてもらったこの場所に感謝していますし、とにかくスタート地点が名古屋市にある、自分の住んでる街にあるスタジアムだったことが一番ありがたいたいというか、ここにあってくれて良かったなと思います。瑞穂で経験してきたことで、大きく広くものを考えられるようになりました。自分が今その状態になって、次の新しいスタジアムに少しでも貢献できればいいなと思います。