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【期間限定公開】我らが「誇り」赤鯱の守護神(『月刊グラン』2010年11月号・創刊200号記念インタビュー)

154月

月刊グラン編集部が"名古屋グランパス 楢﨑正剛"20年間を詰め込んだ一冊の発刊を目指し進めているクラウドファンディング「ナラ1プロジェクト」、5月8日(水)のプロジェクト参画〆切を控え、楢﨑正剛CSFの過去の『月刊グラン』の名インタビューをINSIDE GRAMPUSで再録。

2本目は、2010年に表明した日本代表引退の真実に迫った『月刊グラン』創刊200号記念の特別インタビューをお届けします。※5月8日(水)までの限定公開となります。

 

我らが「誇り」赤鯱の守護神(『月刊グラン』2010年11月号)


楢﨑正剛が日本代表からの引退を表明した。

日本サッカー史に残るゴールキーパーは、この時期になぜ、態度を明らかにしたのだろうか?

そこには赤鯱への熱い想いがあった。正剛が語る「代表引退」の真実。

文・長坂英生

 

日の丸

 

 記者が初めて楢﨑正剛を単独インタビューしたのは1999年6月号だった。この年、楢﨑は消滅した横浜フリューゲルスから加入、MF山口素弘、FW呂比須ワグナーらとともに移籍し、大型補強と騒がれた。

 楢﨑のインタビューで記者が最も印象に残ったのは次の言葉である。


「GKは親分。11人の中でたった1人しかいない特別な存在。ヒーローになれないって言われてるけど、点を取る以上に重要なポジション。試合を決めるポジションです」


 GKは欧州などサッカー先進国では、FWと並んで子どもたちに人気のあるポジションだが、1992年にJリーグが発足した当時、日本では地味な存在だった。その後、川口能活(現ジュビロ磐田=当時)と1歳年下の楢﨑が若くしてJリーグで存在感を示し始めると、DFラインを押し上げるモダンサッカーの登場と相まってGKが注目を集めるようになった。

 ただ楢﨑が少年時代にGKを始めたころ、楢﨑は友人から「GKが好きな変わりもん」と言われた。「ヒーローになれへんGKなんかにようなるなあ」と思われた時代であった。

 そうした経験があるからこそ、GKというポジションに楢﨑は強烈な自負を持っていた。「試合を決めるポジションやね」―。文字にするとコワそうなあんちゃんの口調が思い浮かぶが、現実の楢﨑は関西弁の柔らかい調子で、静かに言う。時折、冗談を言って、自分で笑ってしまう。「ほんわかムード」は当時も今も変わりない。

 初めてのインタビューから年1、2回の単独インタビューを続けてきた。楢﨑は日本代表の常連となり、川口と代表正GKの座を争った。1998年のワールドカップフランス大会は川口、2002年の日韓大会は楢﨑が日本のゴールマウスを守った。

 2002年大会後、楢﨑と話した。そこで印象深かったのは「日の丸」の話である。大会前、グランパスファンが寄せ書きをして、大きく「楢﨑」と書かれた日の丸が日本の初戦の舞台、埼玉スタジアムにはためいた。アップのときに気がついた楢﨑は感激し、高ぶる気持ちから冷静さを取り戻した。


「今までの代表の親善試合ではほかの選手の横断幕のほうが多かったので、ワールドカップの舞台で掲げられるのを見て感激した。同時に普段どおりにやればいいと思った」


 このときのインタビューで楢﨑は、ワールドカップでの代表移動時の交通規制などを含めた国民的協力と応援への感謝を何度も口にした。楢﨑正剛にとって、ワールドカップ経験が「特別なもの」であることを記者は感じた。

 2010年9月7日。大阪の長いスタジアムで開催されたキリンチャレンジカップ第2戦、日本対グアテマラのゲーム後、日本代表GKの楢﨑正剛が代表引退を表明した。

 それはワールドカップからの決別を意味するが、GKという自分が愛するポジションからの撤退ではない。 

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