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【連載企画】俺たちの1年目(柿谷曜一朗編)

84月

4月1日、多くの“フレッシャーズ”たちが社会人としての歩みをスタートしました。『INSIDE GRAMPUS』では、新生活開始のタイミングに合わせて、連載企画『俺たちの1年目』を実施。2021年の連載1回目となる今回は、2006年に高校2年生でプロ契約を結んだ柿谷曜一朗選手にインタビューを行いました。


インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部、写真=J.LEAGUE


こちらがプロ1年目の柿谷選手の写真です。

柿谷 おー、髪質がいいね(笑)。この時はたぶんかっこつけてワックスをつけて、パーマをかけていました。ホストを目指していたのかな(笑)。やんちゃそうだし、絶対生意気ですね(笑)。


セレッソ大阪のクラブ最年少記録となる16歳でプロ契約を結び、注目を集めました。当時の心境はいかがでしたか?

柿谷 これまでの自分の人生の半分ぐらい前の話なのではっきりとは覚えていないですけど、その前の年ぐらいに森本(貴幸/現スポルティボ・ルケーニョ)選手が(東京)ヴェルディでプロデビューしていたんです(2004年3月に15歳10カ月6日でJリーグデビュー)。なので自分の中で少し遅れている感覚だったことは覚えています。早くプロになりたかったし、プロの世界でも通用するもんだと思っていたので、周りのことは気にせず、いい意味でも悪い意味でも特別な感じはなかったですね。ユースからプロになって、日本代表になるという自分が考えていたレールの上を走っていると思っていたと思いますね。


プロでやっていく自信を持っていたんですね。

柿谷 そうですね。なんならもう1年早くプロになりたかったと思っていたんじゃないかな。自分に対しての自信もあったし、自分がセレッソを強くしたいとも考えていました。セレッソは僕がプロになる1年前の2005年に優勝しかけたんです。最終節のFC東京戦で勝てば優勝できる状況だったんですが、1点リードして迎えた試合終了間際に今野(泰幸/現ジュビロ磐田)さんに同点弾を決められて優勝を逃した。僕はその試合を観に行っていて、良くないことなんですけど自分が入る前に優勝されたら喜びが半減するんじゃないかという想いがあって、「優勝しないでくれ」と思っていた自分もいました。あの時にすごく悔しい想いをしている先輩たちを見ながら、「大丈夫、来年は俺が入るから」という気持ちだったのは今でも覚えています。


自信を持ってプロの一員になりました。練習などをとおして感じたことなどはありましたか?

(残り: 6844文字 / 全文: 7880文字)

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