名古屋グランパスのホームスタジアムとして愛されたパロマ瑞穂スタジアムは、
グランパスの初陣から29年に渡り、数々の名場面を生んできた。
改築工事に伴う休業を前に、“聖地瑞穂”と共に歩んだ関係者たちにインタビューを実施。
第2回はグランパスの守護神として20年間を過ごした楢﨑正剛クラブスペシャルフェロー(CSF)にその想いを聞いた。
パロマ瑞穂スタジアムで初めてプレーしたのはいつでしょうか?
楢﨑 1995年か、1996年だと思います。(横浜)フリューゲルスに所属していた時ですね。
パロマ瑞穂スタジアムについてどのような感情を抱いていますか?
楢﨑 フリューゲルスの一員として抱いていたイメージは、「常に満員ですごく熱いサポーターがいるスタジアム」。満員のイメージが薄れた時期もありましたが、再び多くのお客さんが入って、常に盛り上がっているスタジアムに戻ったという印象です。グラウンド状態は練習場以上に整っていて、すごくプレーしやすいピッチでした。
多くの試合でプレーしてきた中で、印象的な思い出はありますか?
楢﨑 天皇杯で退場したことはよく覚えています(笑)。もちろん、リーグ優勝したシーズンの試合もしっかり覚えていますよ。DFに当たって方向が変わったシュートをなんとか触って、バーに当たって僕の手元に戻ってきたこととか(笑)。曲芸的なプレーは特に印象に残っていますね(笑)。
「ゴール前をお清めにいったことがある」というエピソードを聞いています。
楢﨑 日韓ワールドカップを控えていた2002年に入った頃だったと思います。ワールドカップを前に、ケガの影響で不安になっていたこともあって、初めて神頼みをしたんですよ。あまりそういうことは好きでないんですけどね。
なぜ神頼みをしたのでしょうか?
楢﨑 ケガに関係なく、日本代表から遠ざかっていた時期でもあったので。プロになってから5、6年プレーしてきた中で、一番状態が良くなかったんです。「これ以上悪くなることはないだろう」という思いもあって、神頼みをしてプレーしました。
パロマ瑞穂スタジアムの印象を教えてください。
楢﨑 名古屋市内にあって家から近いので、試合後の移動が楽だなと(笑)。また、家族がスタジアムに来やすくて、移動に対して心配する必要がないこともいいところですね。豊田スタジアムで試合がある場合、「大丈夫かな」と思ってしまうので(笑)。そういう面でも安心感のあるスタジアムでした(笑)。
楢﨑CSFにとってパロマ瑞穂スタジアムとはどういう場所ですか?
楢﨑 プロ入り後に初めて立ったスタジアムではないですけど、名古屋グランパスで20年間、ホームスタジアムとして最も多くプレーしました。何試合プレーしたかはわかりませんが、自分の中で一番の“ホームスタジアム”です。
スタジアム特有の雰囲気、温かさは感じていましたか?
楢﨑 ホームとして使っているスタジアムですから、サポーターの皆さんも“聖地”として認めていますよね。それは僕にとっても同じというか、「ホームスタジアムだな」という印象があります。
2021年から6年間、改築期間に入ります。
楢﨑 僕がプレーしている時にきれいにしてほしかったですね(笑)。あとは、6年というと長いのでもう少し短くならないかなと(笑)。それは冗談として、また新しい歴史が作られるんだろうなと期待しています。
「ありがとう、瑞穂。」メインパートナー紹介① 株式会社スマートテクニカ
平成25年7月創業。主な事業はリフォーム工事、キッチン・ユニットバスの施工、塗装・防水工事など。代表取締役を務める坂野良輔氏が瑞穂区生まれ、瑞穂区育ちであることから、瑞穂区を本社登記に。同社も新型コロナウイルス感染症の影響を受けたが、「みんなで力を合わせてこの状況を乗り越え、地元に貢献したい」という想いから、『ありがとう、瑞穂。』企画に賛同し、メインパートナーとなった。