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【高校サッカー選手権企画】“国立“を目指した男たち(太田宏介編)

51月
日本サッカー界の冬の風物詩である全国高等学校サッカー選手権大会。“選手権”の愛称で親しまれる同大会は多くのサッカー少年の憧れの舞台であり、グランパスの選手たちも決勝戦が行われる国立競技場を目指してプレーしてきました。12月30日(月)より開催されている同大会にちなみ、『INSIDE GRAMPUS』では出場経験を持つ3選手にインタビューを実施。最終回では麻布大淵野辺(現麻布大学附属)出身で、第83回と第84大会に出場した太田宏介選手のインタビューをお届けします。


インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部


―太田選手は麻布大学附属渕野辺(現麻布大学附属高)の出身です。進学の理由を教えてください。

現実問題として、麻布大渕野辺しか行けるところがなかった、というのがあります。Jユースで練習参加したこともありましたが、その時はミニゲームにも出してもらえませんでした。また、近隣には桐蔭学園や桐光学園といった強豪校もあるんですけど、母子家庭で金銭的に厳く、行きたくても行けない事情があったんです。僕は町田市の出身で、中学時代はFC町田(現FC町田ゼルビアジュニアユース)に所属していました。同じ市内の町田JFCでプレーしていた小林悠(現川崎フロンターレ)と仲が良かったんですけど、彼のお母さんが麻布大渕野辺の出身で、僕たちの代から体育系コースができることを教えてくれたんですよ。私立の高校でしたが、学校側がうちの事情に配慮して授業料免除の特待生にしてくれました。そんなご縁があって、悠を始め町田市の選抜でずっと一緒だったメンバーと一緒に麻布大渕野辺に行くことになりました。


―麻布大渕野辺のサッカー部は伝統や実績のある学校ではないですよね。

そうですね。だから、僕らが1年生の時にインターハイの神奈川県予選でベスト16まで勝ち進んで、3年生の先輩たちがすごく喜んでいたんですよ。僕たちの代は入学する時から「選手権に出よう」という高い目標を立てていましたから、県のベスト16で喜んでいる先輩たちを見て「これで喜んでいたらダメだ」と感じましたね。「来年こそは絶対に全国大会に行こう」ってみんなで誓い合いました。みんなすごく仲が良くて、練習も一生懸命やっていた。だからこそ、結果として選手権に出ることができたのだと思います。


―神奈川は激戦区で、選手権に出るのはかなり厳しいのでは?

予選の参加チーム数が一番多いですからね。僕らは2年次(第83回大会)、3年次(第84回大会)と2大会連続で出場しました。1回目は出られただけで満足でしたね。3年生の時はほぼ完璧な成績で県予選を突破したんですよ。1失点しかしなかったし、県内では実力的に抜けていたと思います。僕と悠、そして小野寺達也(現テゲバジャーロ宮崎)と、この学年から3人もプロになって、まだみんな現役ですからね。いいメンバーが揃っていたと思います。

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