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【期間限定公開】天皇杯について(『月刊グラン』2000年3月号)

304月

月刊グラン編集部が"名古屋グランパス 楢﨑正剛"20年間を詰め込んだ一冊の発刊を目指し進めているクラウドファンディング「ナラ1プロジェクト」、5月13日(月)のプロジェクト参画〆切を控え、楢﨑正剛CSFの過去の『月刊グラン』の名インタビューをINSIDE GRAMPUSで再録。

3本目は、20003月号に掲載された楢﨑正剛CSFが今上天皇とのエピソードを語ったインタビューをお届けします。※513日(月)までの限定公開となります。


天皇杯について(『月刊グラン』2000年3月号)

文・福田晃広


 もしかしたら、グランパスは最も過酷なブロックだったかもしれない。昨シーズンは不調だったものの、第2ステージから徐々に本領を発揮してきた鹿島アントラーズ。日本一のみならず、アジア一の称号まで携えてきたジュビロ磐田。そして、ナビスコカップを制した柏レイソル。これだけのチームが片方の山に集まれば、先述した「最も過酷なブロック」という表現も、決して大げさではないだろう。

 第79回天皇杯。グランパスはそういった強敵を退けて、サッカーマンなら誰もが夢見る正月の国立へ歩を進めた。そして、4年前と同カードとなった相手を、4年前と同じように無失点に抑え、栄えあるカップを頭上に輝かせた。

 無論、これだけの敵を相手に、楽な展開などなかった。特に、アントラーズ戦では試合時間残り2分までビハインドを背負っていたし、ジュビロにはイニシアチブを握られ続けた。何度も何度も、頭を抱えそうな場面を目にしてきた


  しかし、そのたびに、1度は頭を抱えかけた手を、時には握り拳をつくらせ、時には力いっぱい振り回させてくれた男がいた。彼は誰の目から見てもスーパーセーブと言わしめるプレーで、幾度となくチームを絶望のふちから救ったのである。

 いつしか、「楢﨑がいなければ、グランパスは勝ち進んでこられなかった」とささやかれるようになった。各試合を振り返れば振り返るほど、彼の存在の大きさを痛感させられる。

 さて、その天皇杯優勝の立役者は、今大会をどのように振り返っているのであろうか。直接、彼の口から聞いてみよう。


 まず、ファンの皆さんにご報告しておきます…って、もうみんな知ってるやろうし、この号が発売される頃には結構時間が経ってますけど、天皇杯で優勝することができました。これも、僕らを陰ながら支えてくれたスポンサーさんやスタッフ、そして、ファンの皆さんがパワーを分け与えてくれたおかげです。ご声援、どうもありがとうございました。


 さて、優勝したということで、天皇杯を振り返ってくれということなんですけど、そうですねぇ、結構きつい試合が続きましたよ。2戦目からアントラーズ、ジュビロ、そして、レイソルでしょ。アントラーズやジュビロは地力があるし、レイソルもナビスコカップで優勝してるし。

 その中で、一番キツかった試合をあえて選ぶとすれば…どの試合かなぁ。アントラーズと戦ったときは、あそこまで(後半43分)ズルズルいったから、「ヤバイ」っていうのがよぎったけど、何となく点が入りそうな予感はしてたんですよ。だから、「無得点でおわることはないやろなぁ」って。

 そう考えると、一番きつかったのはジュビロ戦ですね。みんな集中してたから、それほど「やられるかも!?」とは思いませんでしたけど。それでも、1-0というスコアはキツイっすよ。試合が終盤になるにつれて、精神的にキツクなってくる。

 それに、個人的にも、守る時間が長いのはキツイんですよ。どっちかというと。まだ、押せ押せのほうがいい。これは、ぼくの場合だけかもしれないっつすけど(笑い)。


 とはいっても、ゴールキーパーってポジションは、攻めっぱなしっていう試合もなかなか難しいもんなんですよ。試合にするなら「厳しい」というより「イヤ」って感じかな。攻めっぱなしだと、試合のリズムをつかみにくいんですよね、たまにしかボールが飛んでこないから。で、そういう時に点を取られると、よくないほうへいってしまう場合が多い。

 だから、初戦のソニー仙台戦は「イヤ」でした。そりゃ、危ない場面ってのはなかったし、相手はJFLですから、J1のチームとしては勝って当たり前なんやろうけど、サッカーっていうのは、ある意味、難しいものでしょ。その当たり前のことを当たり前にできたのは、すごくよかった。


 それから、準決勝のレイソル戦は、前半が厳しかったですね。確かに、前半は風下だったってことも関係あると思います。特に、国立の場合は。

 でも、展開は試合前から大体予想できてたんですよ。レイソルには若い選手が多くて、アグレッシブなチームだから、最初はガーってくるんやろうなぁって。逆に、ウチはあまり最初から行くほうじゃないでしょ。で、予想通り、風向きの関係もあって、前半はあまり攻める機会がなかったですもんね。前半終盤からやっと攻撃しだしたって感じだし。

 ただ、その流れのなかで、「後半はいけるかなぁ」という手ごたえはあったし、これはいろんなところで何回も言ってるけど、僕は「いつかは(点を)取ってくれる」って普段から思ってるから、単純に「点を取られんかったらええなぁ」って。

 だから、マスコミの人たちからよくフリューゲルスのことを引き合いに出されて、「特別な意識はあったの?」って聞かれたけど、試合中に意識するってことはなかったですね。




 それにしても、準決勝は天覧試合だったじゃないですか。初めてだったんですよ、天皇陛下を拝見するのは。何か、うれしいですよね。だって『天皇』杯なんですから。その天皇陛下の前でプレーできたのは光栄ですよ。試合前なんて、取りあえず「名前だけは覚えてもらおうかなぁ~」って(笑い)。

 もちろん、そうはいったって、さすがに試合中はゲームに没頭してましたよ。「名前だけでも~」なんて考える時間はないっすからね…。あっ、後半が始まる前はちょっと見入っちゃったかな(笑い)。選手たちがポジションについてるのになかなかキックオフせぇへんくて、「始まらんなぁ~」と思ってたら、みんながロイヤルボックスのほうを見てるんですよ。だから、そっちのほうを見たら、「アッ!」と思って、見入っちゃった。


 そういえば、試合が終わった後にマスコミの人から、「天皇陛下が、『今のが楢﨑君ですね』って岡野(当時の日本サッカー協会)会長に確認してたよ」って言われたんですよ。で、翌日、新聞にそのことが書いてあるのを見て、「本当に名前が呼ばれたんや、俺」って思ったら、思わず(ガッツポーズをしながら)「よっしゃー!」って。でも、それ、ホンマなんですかねぇ。それに、その一日だけで忘れられちゃってたらイヤやなぁ~。


 えっ!? 園遊会に呼ばれるかもって!? ないです、ないですよ、そんな。園遊会っていうのは、著名人が行くところですよ。そりゃ、僕だって行ってみたいですよ。でも、そこまでの選手じゃないですから、僕は。それに、そう振る舞えばええか分からへんし。

 あっ、そうそう。僕ね、去年、確か園遊会に招待されてました。僕だけじゃなくて、グランパスからはワールドカップでフランスに行った4人(山口、呂比須、平野、楢﨑)ですけどね。でも、行けなかったんですよ。練習があったか何かで。


 何にしても、天皇陛下には、またスタジアムに足をお運びになっていただきたいとは思いますね。


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