チーム始動から約1カ月の月日が経過した2月15日、
新たな外国人が突如としてグランパスに加わった。
この謎に包まれていた“第4のブラジル人”は、
合流10日後にしてスタメン出場、そして初ゴールを記録した。
最愛の兄、敬礼のポーズ、ポジションへの想い––。
ホーシャが“夢の国・日本”にたどり着くまでを紹介する。
インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部
今日は、ホーシャ選手がどのようなサッカー人生を送ってきたのかについて伺っていきたいと思います。まずは幼少時代について教えてください。インターネットで調べたのですが、ジュンジアイという地域で生まれ育ったのですね。
ホーシャ その情報は間違っていますよ(笑)。私が生まれたのはミナスジェライス州のアバジア・ドス・ドウラードスという地域です。それから4歳の時にアラグアリに引っ越して、そこで私のサッカー人生が始まりました。アラグアリのサッカースクールでプレーを始めたのですが、今でもそのスクールとの関係は続いています。現地に行った時は子供たちの面倒を見ますし、今でも継続してサポートをしていますね。そこからパウリスタ・ジュンジアイというチームに移籍しました。そのうち家族も僕のサポートのためにジュンジアイに引っ越しました。ジュンジアイでは結婚をして、子供も産まれたんです。今でも家族はジュンジアイに住んでいますよ。
アラグアリではどのような経緯でそのサッカースクールに入団したのですか?
ホーシャ 入団したのは9歳の頃でしたね。ガンバ大阪とのリーグ開幕戦でゴールを決めた時、亡くなっている兄のために、敬礼ポーズをしたのはご存知ですか? 9歳の頃、その兄にサッカーが好きだと伝えたんです。そうすると、兄は入団できるチームを探してくれたり、手続きをしてくれたり、練習場に連れて行ってくれたりと、僕がサッカーをするために、すべてを整えてくれたんです。私は兄がサポートしてくれたので、サッカーをやり続けることができました。もちろん両親の支えがあったことも伝えておきます。家族のサポートがあったからこそ、今こうして名古屋グランパスに所属することができたのです。
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