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ランゲラック選手記者会見

307月

7月30日(火)、今シーズン限りでチームを離れることを発表したランゲラック選手が、山口素弘GMとともに記者会見に出席しました。


■山口素弘GM

皆さんこんにちは、名古屋グランパスGMの山口です。本日はお忙しいなか、そして急なご案内にもかかわらず、このように足を運んでいただきありがとうございます。本日はランゲラック選手の今後について発表させていただきます。ランゲラック選手は今シーズン終了をもって名古屋を離れ、オーストラリアに戻ることになりました。ランゲラック選手は2018シーズンから名古屋グランパスに加入していただき、これまでグランパスに在籍した外国籍選手としては最多の試合出場数を積み上げてきてくれました。これまで連続無失点、完封試合数など数々のリーグ記録も打ち立て、2021シーズンにおいてはクラブにとって初のルヴァンカップ優勝のタイトル獲得にも大きく貢献してくれました。そして今シーズンはキャプテンとしてチームを引っ張ってきてくれています。我々名古屋グランパスとしては、このクラブに多大な貢献をしてくれたランゲラック選手に心から感謝しています。名古屋グランパスが来シーズン、一緒に闘えないのは本当に残念ではありますが、ランゲラック選手とご家族の決断を尊重することにいたしました。ただ、残りのシーズンはまだありますので、ランゲラック選手とともに「Never Give Up」の精神でしっかりと闘っていきたいと思っています。よろしくお願いします。


■ランゲラック選手

皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。自分にとって、今日はとても特別な日になります。今シーズンをもちまして、名古屋グランパス、そして日本を離れ、オーストラリアへ戻るという決断をしました。この7年間、素晴らしい経験が多くあり、忘れられない人生の1ページ、1章となりました。名古屋という街に来た初日から、クラブ、街、人々全てが大好きになりました。大好きな場所でこれだけ長くサッカーができたことをうれしく思います。クラブ、人々が自分に与えてくれたことというのは、どうやってもお返しできないぐらい、自分にとって大きなものです。特にクラブ、グランパスファミリーの方々がサポートしてくれたおかげです。感謝してもしきれないぐらいの想いがあります。残りのシーズンに向けて、しっかり頑張っていきたいと思います。


■質疑応答


ー今シーズン限りでチームを離れることを決めた経緯を教えてください。

ランゲラック まずこのタイミングで発表した理由をお話しします。自分のキャリアのことを考え、ここ数週間で日本を離れるという決断に至りました。一度決めたからには、自分の中でそれを抱えたまま、誰にも言わずにプレーするというのは難しいと思いました。クラブも、この決断を伝えることでより早く将来に対する準備ができると思いました。また、多くのグランパスファミリーに対してモヤモヤした気持ちを抱えてプレーするより、自分の決断を共有して残りのシーズンを闘うほうが、感謝を示せると思いました。そういう理由から、このタイミングでお伝えしようと考えました。


ーこの決断に対し、フロントや監督、コーチ、選手、ご家族の反応はいかがでしたか?

ランゲラック いろいろな関係者、家族に話した際、驚きであったりショックを受けたような部分もありましたが、誰一人としてネガティブなリアクションをする人はいませんでした。それはすごくうれしかったですし、このクラブのことがさらに好きになりました。自分のキャリアにおいて、これだけ長い間所属したクラブというのはなかったですし、来たばかりの頃はこれだけ長くいることを想像していませんでした。それだけの愛情をもらい、そして愛着が湧くクラブでプレーできたことをうれしく思いますし、サッカー選手としても人間としても、このクラブに所属できたのは素晴らしいことでした。


ー2021年には21試合でクリーンシートを達成するなど、数々の記録を打ち立てました。ランゲラック選手にとって名古屋でのキャリアはどのようなものになりましたか?

ランゲラック このクラブでプレーできたことは、自分のサッカー人生においてすごく重要なものになりました。今シーズンに限って言えば、キャプテンとしてもプレーしました。このクラブでプレーできること自体、素晴らしいことですが、キャプテンを任されたことは意味のある、価値のあることだと思っています。自分は「キャプテンをやりたい」という気持ちを持っていたわけではありませんが、7年間積み重ねてきたことの証というか、クラブに認められた結果がキャプテンマークだと思いますので、サッカー選手としても誇らしく思っています。


ー数々の試合でチームを救うプレーを見せてきました。最も印象に残っているセーブを教えてください。

ランゲラック 印象に残っているものを1つ選ぶのは難しいので、2つお話しさせてください。1つは2018年、アウェイ(ベガルタ)仙台戦でのセーブになります。何とかボールに触り、失点を免れたシーンですが、そのセーブがあったことで試合に勝つことができ、そこから7試合負けなしでシーズンを進め、その結果として目的を達成しました。1つのプレーですが、それがシーズン全体に対して意味を持った、インパクトを与えたということで、忘れられないセーブと言えます。もう1つは2019年、豊田スタジアムでの(ヴィッセル)神戸戦で古橋(亨梧)選手のシュートを止めたセーブです。2018年と同様に自分たちがとても苦しんだシーズンでしたが、このセーブによって勝つことができ、このシーズンにおいて自分たちに大きな意味をもたらしました。それ以外にも、見た目は華やかなセーブ、ペナルティーキックでのセーブもあるのですが、自分としては単なる1プレーではなく、チームやシーズンに大きな意味をもたらしたという意味で、この2つのセーブは忘れられないものとなっています。


ー日本でやり残したことはありますか?

ランゲラック 家族ともよく話すのですが、日本の生活にはすごく満足していて、いろいろな場所に行くことができましたし、いろいろな経験をしたので、「絶対にやらなければいけない」ということはあまりありません。強いて言えば、富士山にまだ登っていないので、ぜひ登ってみたいと考えています。サッカーに関しては、まだシーズンが終わっておらず、ルヴァンカップでも優勝する可能性が残っているので、残されている可能性に懸けたいと思っています。セーブに関する話でも言いましたが、セーブによってチームを助ける、クラブがよりいい状況になることは何にも代えられないことですので、日々ベストを尽くすことがやりたいこと、やらなければいけないことだと思っています。それをしっかりと続け、チームとして最大限できることをやっていきたいと思います。


ーランゲラック選手の背中には、常にグランパスファミリーの皆さんの姿があったと思います。改めてグランパスファミリーへの想いを教えてください。

ランゲラック 冒頭でもお話ししたように、いろいろな方々に支えられた7年間だったと思います。サポートがなければ、ここまでプレーすることはできなかったですし、皆さんにいただいたものをそのまま返すことはできないぐらい、たくさんのものをもらいました。繰り返しになりますが、自分にできることは残された時間でベストなプレーを見せ続けることです。ぜひ応援をよろしくお願いします。


ー山口GMにお聞きします。ランゲラック選手の決断を聞いたときの心境を教えてください。

山口 家族との相談もあったかと思いますが、本人が考え抜いた上での結論だったと思います。本人には「決断をリスペクトする」と伝えました。もちろん、寂しい気持ちもありますが、ランゲラック選手が一歩を踏み出す勇気に関して、クラブとしてもサポートしていかなければいけないと思いました。


ーランゲラック選手がクラブに残してくれたものとは?

山口 表すことができないほどの大きなものが残っていると思います。今シーズン、外国籍選手でありながらキャプテンを任されたというのは、彼の人柄も影響していると思います。信じられないようなビッグセーブに目がいきますが、そこに至るまでの準備、日頃のトレーニング、サッカーに対する姿勢もそうですし、家族やグランパスファミリーに対する優しさというのは、私だけではなくてクラブに関わる全ての人が見てきていると思います。それを感じてきた一人ひとりが、彼に対してどのように貢献していくか、サッカー人生をどのように進めていくのか、考えるべきだと思っています。試合を見ていて胸が熱くなるのは、ピッチに一番最初に出てくるミッチを迎えるグランパスファミリーの声、オーストラリアの国旗を見たときです。あの光景は忘れられないなと思っています。


ーデビュー戦の直後からグランパスファミリーが送ってくれる声援に喜んでいたのが印象的です。当時のことを思い出すといかがですか?

ランゲラック グランパスファミリーの皆さんは一番最初の試合からオーストラリアの国旗を振ってくださって、自分の歌を歌ってくださってくれましたが、それは普通ではありえないことだと思います。外国からきたばかりの選手にあれだけ温かく歓迎してくれるというのは、世界を見渡してもなかなかないようなサポーターの姿勢だと思います。キーパーというのはビッグセーブもありますがなかなか目立ちにくく、パフォーマンスが分かりにくいポジションですが、それにもかかわらずグランパスファミリーは常に自分を応援してくれて、常に自分を励ましてくれました。「彼らのためにプレーしよう」という気持ちにもなりますし、そういった意味でもこのサポーターと一緒にプレーできたことは自分にとってラッキーなことですし、自分のキャリアのなかでかけがえのない存在になっています。


ー山口GMがおっしゃっていた試合前のアップ時の光景をどう見ていましたか?

ランゲラック 自分がピッチに入っていく瞬間に旗を振ってくれたり、自分の歌を歌ってくれて、本当に鳥肌が立っています。あれだけのことをしてもらえることということはなかなかないですし、7年目になりますがあの瞬間を迎えるたび、あの声援を聞くたびに鳥肌が立ちます。当たり前にはなりません。それだけすごいことだと思いますし、特別な瞬間ですね。


ー失点が多く苦しい時期もありました。

ランゲラック おっしゃられたように1年目、2年目はチームとして非常に苦しいシーズンを送っていましたが、自分にとってはいい意味でいい思い出になっています。振り返ると、もちろん優勝してトロフィーを掲げるというのも輝かしいことですが、あの苦しいなかで自分がやったこと、チームとして成し遂げたことは大きな価値があります。それだけ特別なことだったと思います。あの苦しい状況のなかで自分たちがやったことは誇れるものだと思います。あの状況からしっかりと持ち直したのはクラブの力だと思いますし、それに貢献できたこと、ベストを尽くしたことを誇らしく思っています。


ーグランパスのGKチームはいかがでしたか?

ランゲラック GKグループというのはある種独特な結束を持っていますが、そういった意味でもグランパスのGKグループは7年間非常に素晴らしいグループでいられたなと思います。毎日一緒に厳しいトレーニングをして、独特な絆があるので、それぞれのキーパーたちと本当にいい関係を築くことができました。強いて挙げれば、武田(洋平)選手とは7年間ずっと過ごしてきて、自分は日本語をあまり話せないですし、武田選手も英語をあまり話せないですが、それでも意思の疎通ができてしまうくらい、自分たちの関係を築くことができました。この決断をしたときに一番か二番目くらいに彼に伝えました。素晴らしいキーパーたちに出会えましたし、素晴らしいGKグループでプレーすることができたと思います。まだまだ、この後の彼らの成長というか、グランパスのキーパーがどうなっていくかを見るのが楽しみです。


ー加入時は背番号22を着け、楢﨑正剛アシスタントGKコーチから「1」を受け継ぎました。2つの番号への思い入れはいかがですか?

ランゲラック 22番は自分にとって非常に愛着のある番号で、ドルトムントにいたときに着けていた番号です。日本に来て、最初に22番が着いたグランパスのユニフォームを着たときは本当に感動しました。この22番を背負って日本で新しいチャレンジをしていくんだという決意したのを覚えています。22番を背負って、日本でのキャリアを始めることができて良かったです。そのあと、楢﨑正剛さんから1番をもらうことができましたが、皆さんも御存知のように名古屋グランパスの1番は普通の1番ではありません。楢﨑正剛さんは何千試合もプレーした方です(笑)。それは冗談ですが、Jリーグで800試合近く出場した選手の背番号を受け継ぐというのは、ただ番号を引き継ぐだけではないというのは自分でも分かっていましたが、それでも「1番を着けてくれ」と言われて、それから着け続けることができたのは自分にとって誇れることだと思います。


ー帰国することを家族に伝えたときの反応はいかがでしたか?

ランゲラック 妻とはこの決断をする過程で自分たちの将来についてたくさん話していたので、彼女はこの決断に至ることは分かっていました。妻が驚いたりとか悲しんだりとか、そういうリアクションではなくて、自分たち2人で家族のことを想って決断したことです。ただ、子どもには伝えていなくて、会見場にいる子どもたちは今自分たちの決断を聞いたので、このあと車の中でどんな反応をするのか。お父さんはずっとグランパスでプレーすると思っていたかもしれないので、車の中でどんな反応をするのか、どういう話をするのか楽しみにしています。


ーオーストラリアに帰国後はどういったキャリアを歩んでいく予定なのでしょうか?

ランゲラック オーストラリアに帰るということだけを決めたので、帰ってからどうするかとか、クラブは決まっていません。自分がオーストラリアを離れて15年近く海外で暮らしていて、他のオーストラリアのサッカー選手でここまで長く母国を離れたことはないと思いますけど、これは自分にとっても、家族にとっても本当に長い旅でした。妻もそうですし、子どももそうです。オーストラリアに戻って、また新しい旅の1ページを書くことが自分たちにとって大事なので、何を書くかはしっかりと話して決めていきたいです。この先のことは何も決まっていません。


ー選手として、あるいはセカンドキャリアでグランパスに戻る可能性はありますか?

ランゲラック 僕ではなくて“もう1人のランゲラック”が来るかもしれませんよ。息子がもしかすればグランパスの選手としてプレーするかもしれません(笑)。将来のことは全く決まっていなくて、オーストラリアに帰るということしか決めていません。


ー山口GMに質問です。彼の後継者についてはどう考えていますか?

山口 誰であっても、選手というのは常に移籍だとかいろいろなことを考えなければいけません。正直、心のどこかでは「ずっといてくれないかな」と思っていましたけど、彼の人生ですので「いずれかは」と。自分のなかでは“ネクストミッチ”をどう育てるかという課題をずっと持っていました。本当であればこういう場でランゲラック選手が「若いあの選手が出てきて敵わないからオーストラリアに戻る」というコメントを聞きたかったですが、まだそんな選手が育っていないのはGMである私の責任だと思っています。三井(大輝)選手であるとか、東ジョン選手、今一緒にやっている19歳のピサノ(アレクサンドレ幸冬堀尾)選手あたりはランゲラック選手の後ろ姿を見てきたわけですし、トレーニングを一緒にやっているので、本当に少しでも、僅かでも近づいて、そういう選手がグランパスのゴールマウスを守るというような素晴らしい伝統を作っていきたいと思います。恥ずかしくないGKを来年はピッチに立たせたいなと思っています。


ー特に印象に残ってる試合はいかがでしょうか?

ランゲラック 印象に残っている試合はたくさんあって、それぞれ違った理由がありますが、1つあげるとすればルヴァンカップの優勝を決めたセレッソ大阪との試合です。なかなかタイトルが獲れないなかで優勝できたこと、そしてあの時に一緒にプレーした選手と非常に素晴らしいチームを作れていたので、印象に残っています。


ーグランパスに来て良かったと思う出来事と、苦しかったと思う出来事をそれぞれ教えてください。

ランゲラック 一番良かったことは、グランパスファミリーに出会えたことです。サポーターというのはクラブを表すものだと思います。そういった意味では、グランパスは非常に素晴らしいサポーターを持っていますし、4万人で埋まったスタジアムの雰囲気は本当に素晴らしいものがあります。もっといい言い方があるのかもしれませんが、言葉では言い表せない感動が、このスタジアムでプレーすることにはあります。もちろんそのサポーターの方だけではなくて、グランパスが持っている施設であったり、全てです。このクラブでプレーすることが非常に自分にとっては幸運だったと思いますし、自分だけではなく他のグランパスの選手もそれは感じていると思います。このクラブ、そしてサポーターに出会えたこと、それが一番良かったことだと思います。苦しかった出来事は今は出てこないですね。


ー長い日本生活で印象に残っていることは?

ランゲラック 日本で出会ったもの全てに対していい思い出があります。日本に来て最初の2週間は、見るもの全てが新鮮で今までに体験したことがないことの連続だったので驚いた部分もありましたが、日が経つにつれてそれが自分たちの日常になっていくと、こんなに生活しやすい国はないですし、人も素晴らしいです。日本の持っている文化や自然、全てが素晴らしいので日本で生活ができたことは自分だけではなく、家族にとっても素晴らしい体験になりました。今度、日本に帰ってくる時は家族として、楽しみに日本に帰ってきます。いつ日本に帰って来れるか、自分が良くしてもらった人々に再会できることを楽しみにしています。


ー母国に戻る決断をした一番の理由を教えてください。

ランゲラック 一番の理由は家族です。子どもが3人いて、上の子がもうすぐオーストラリアの小学校に通う時期になるのですが、オーストラリアで教育を受けさせたり、成長させたいという思いがありました。自分の両親や兄弟と一緒に生活をしたいということもありました。オーストラリアを離れて15年近くになるので、そろそろ戻る時期だろうというタイミングも相まってこういう決断をしました。


ーJリーグ屈指のGKとして活躍して、数々の記録を打ち立ててきました。そういった評価や記録はランゲラック選手にとってどういったものになりましたか。

ランゲラック 日本ではサポーターの方々からの愛情をすごく感じますし、そのおかげでこれだけのパフォーマンス、数字を残すことができたと思います。その期待に応えるために、日々のトレーニングを一生懸命やります。自分はまだ成長の坂道を登っている途中だと思っていますので、それをやめる理由はないですし、歩みを続けることがこのキャリアにつながってきたと思います。グランパスでプレーをする最後の日まで、その坂道を登り続けたいと思います。