NGE

【連載企画】俺たちの1年目(パトリック編)

184月

この4月、多くの“フレッシャーズ”が社会人としての歩みを始めました。『INSIDE GRAMPUS』では恒例の連載企画『俺たちの1年目』を今年も実施。第二弾はブラジルから日本に旅立って12シーズン目を迎え、さまざまな苦楽を経験してきたパトリック選手。自身の“1年目”を振り返りながら、グランパスファミリーの皆さんのスタートへ励ましのメッセージを送ってくれました。


インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集


パトリック選手はブラジル北部に位置するアマパー州のアマゾン川河口部にある州都マカパで生まれ育ちました。実家を離れたのは何歳の頃ですか?

パトリック 16歳です。隣のパラー州のベレンにあるパイサンドゥSCのアカデミーに加入するチャンスを得たのがきっかけでした。4歳からボールを蹴り始めて、家にいる時もずっとテレビでサッカーの試合を観ているような子供だったので、大きくなったら家を出て、プロのサッカー選手になることをいつも夢見ていました。「一流の選手になって早くお金を稼ぎたい」。それが幼い頃からの夢でした。


10代で親元を離れてホームシックになったのでは?

パトリック いや、ほとんどならなかったですよ。「絶対にサッカーで成功してやるんだ」という気持ちがとても強かったですからね。


実家を離れ、一番最初に住んだのはどんなところでしたか?

パトリック クラブの選手寮でした。私と同じように近隣の州出身のプロを目指す同年代の仲間たちと共同生活をしていたので、寂しくはなかったです。すぐに友だちができましたし、寮生活にもすんなりと馴染むことができて、困ったことはなかったですね。


選手寮があるベレンは人口約150万人で、約50万人の故郷マカパよりも大きな都市です。いろいろな誘惑があったと思いますが、どのように自分をコントロールしていたのでしょうか?

パトリック おっしゃる通り、ベレンはとても華やかな大都市です。ただ、クラブや寮にはいろいろなルールがありましたし、「目標を達成したい」という気持ちがとても強かったので、サッカーだけにフォーカスした毎日を過ごしていました。もちろんパーティーの誘惑もありましたよ(笑)。当時の仲間の中にはパーティーを楽しみすぎて、プロサッカー選手になる夢を失ってしまった者もいました。でも、私は「絶対に目標にたどり着くんだ」という気持ちを持ち続けていたので、夢を見失うことはなかったです。というのも、パイサンドゥSCに入る前は6年ほど洗車のアルバイトなどをしていて、夜遅くまで働いてから翌朝の練習や試合に参加するというハードな毎日を送っていたんです。ですから、「目の前にあるプロ契約を手にするチャンスをみすみす逃すわけにはいかない」と自分に言い聞かせていました。


念願かなってパイサンドゥSCでプロキャリアをスタートさせました。初任給はどのように使いましたか?

パトリック 確か、家族のために食材をいっぱい買ったと思います。


選手寮を出たのは、何歳頃でしたか?

パトリック 18歳の時でした。パイサンドゥSCから同じベレンの小さなクラブに移籍した頃に今の妻と知り合い、すぐに一緒に暮らし始めました。


パトリック選手のキャリアを振り返ると、ブラジルでも複数のクラブに移籍していて、レシフェやクイアバ、リオ・デ・ジャネイロ、ゴイアニアといった国内有数の都市のクラブでプレーしています。ブラジルは国土が広く、文化や気候が異なりますし、サッカー面での競争が激しいなかで、どのように順応していったのでしょうか?

(残り: 3212文字 / 全文: 4668文字)

この続きをみるには

この記事の続きは会員限定です。
JリーグID登録と購読手続が
完了するとお読みいただけます。