5月14日(日)に開催されるJリーグ30周年記念スペシャルマッチ 鹿島アントラーズ戦を前に、名古屋グランパス初代キャプテンの澤入重雄氏にインタビューを実施。トヨタ自動車サッカー部から名古屋グランパスエイトへ変わったクラブの過渡期を振り返っていただきました。歴史的な鹿島アントラーズとの開幕戦や当時の盛り上がりなど、貴重な経験を語っていただきました。
インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部
1986年に名古屋グランパスの前身にあたるトヨタ自動車サッカー部に入部されました。なぜトヨタ自動車に入社したのでしょうか?
澤入 当時の日本にはプロサッカーリーグがなかったので、大学や高校を卒業してから高いレベルでサッカーを続けたいのであれば、日本サッカーリーグに所属する三菱重工や日立、東芝、本田技研、ヤマハ発動機といった企業に就職するのが主流でした。私自身、大学卒業後もサッカーを続けていきたいという気持ちがありました。そんな中誘っていただいたトヨタ自動車サッカー部は当時日本サッカーリーグ2部でしたが、将来的に1部を目指して強化していくという方針でしたし、静岡市出身の私には静岡県裾野市にサッカー部の拠点があったことも決め手となりました。もちろんトヨタ自動車は今も昔も日本を代表する魅力的な企業ということもあります。私が入社した頃、プロリーグは想像もできなかったし、プロサッカー選手になりたいという意識も全くなかったです。
トヨタ自動車サッカー部は1990年12月にJリーグへの参加を正式に発表し、プロクラブへと転換を図りました。澤入さんとしてはどのような心境だったのですか?
澤入 当時は社内の仕事に従事しながらプレーをしていたので、プロクラブになると聞いて戸惑いや不安を覚えた反面、ワクワクするような気持ちもありました。その両方の感情が入り混じった複雑な心境だったと思います。その後、会社側との面談が行われて、「プロクラブになりますが、あなたはどうしますか?」と問われたわけです。当時、もう家庭を持っていたので、一旦持ち帰って家族会議を開きました。年齢的にも20代後半になっていましたからね。選択肢としては会社とプロ契約をするか、これまでどおり会社員としてプレーするかの二択。当時はプレーヤーとしてリーグ戦で結果を残していましたし、「もっと高いレベルにチャレンジしてみたい」という気持ちが強かったので、思い切ってプロ契約を結びました。
アマチュアクラブからプロクラブに生まれ変わる過渡期を経験されていますが、当時のチーム状況はいかがでしたか?
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