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【クラブ30周年記念 ファンクラブ会報誌連動企画】Cross Talk 楢﨑正剛×豊田晃大(完全版)

239月

クラブ30周年記念特別企画として、ファンクラブ会報誌「Grafan」とのコラボを実施。Grafan vol.4に掲載したクラブOBが登場した企画の完全版をお届けします。今回はクラブレジェンドであり、現在はクラブスペシャルフェロー、そしてアカデミーダイレクター補佐とアカデミーGKコーチを兼務している楢﨑正剛と、U-15から6年間アカデミーに在籍し、今年昇格を果たした豊田晃大のスペシャル対談。


ナラさんに入ってもらった

貴重なシュート練習(豊田)


親子ほど年齢の離れた2人ですが、お互いに認識し始めたのはいつ頃ですか?

楢﨑 初めて晃大を知ったのは、僕が現役を引退して1年目。アカデミーの練習に顔を出すようになってからです。高校1年生ながらプレミアリーグやクラブユースにも常時出場していましたからね。

豊田 僕は小学生の頃からナラさんのことを知っています。グランパスの試合を観るようになった時からグランパスのキーパーはずっとナラさんでしたから。長くクラブを背負ってきた方なので、近寄りがたい人だと思い込んでいましたが、話してみたら気さくで、とても親しみやすかったです(笑)。

楢﨑 晃大が高2になった頃からは、ほぼ毎日アカデミーの練習に参加するようになったけど、GKコーチがメインだったので、最初の頃はそこまで密に絡むことはなかったんです。ただ、アカデミーダイレクター補佐の業務もあったので、学年が上がるにつれてグラウンド外で言葉を交わす機会は多くなりましたね。学校生活のことで相談に乗ることもありました。

豊田 高3の時はFWだったので、ナラさんにGKに入ってもらってシュート練習をする機会がありました。その時に「パンチ力はあるんだから、大振りせずにコースを狙え」とアドバイスしてもらったことを今でもよく覚えています。それ以来、よりコントロールを重視しながらシュートを打つようになりました。

楢﨑 晃大は僕の長男と同い歳なんです。高1から高校年代のトップレベルの舞台でスタメンを張って堂々とプレーしていましたから、大したもんですよ。期待を裏切ることなく順調にトップ昇格を果たしたことは評価すべきことだと思います。とは言っても勝負はこれからです。晃大自身、アカデミー時代を自分なりに振り返ってみてどう?

豊田 周りの選手と比べて、自分は品行方正なタイプではなかったですね。いろいろとアドバイスをもらっているにもかかわらず、「うるさいな、そんなことわかってる」と思ってしまうことがたまにあったので、コーチやスタッフの皆さんには迷惑を掛けていたと思います(苦笑)。

楢﨑 たしかに聞く耳を持たないような素振りをよく見せていたからな(笑)。ただ、晃大のキャラクターはみんなわかっていたし、晃大にはアドバイスされたことをしっかりと理解して、プレーで表現できる能力があったと思うよ。

豊田 冷静になってからアドバイスを思い起こして、「やっぱり自分にとって大切なことなんだな」と思っていましたね。

楢﨑 指導者はこれまでの経験や学んできたことをいろいろとアドバイスするわけだけど、それはあくまでもヒントだから。そのヒントをどのように取り入れて、どのように生かすかは選手次第だからね。

豊田 以前は自分のやりたいようにプレーしているだけでしたが、自分で考える癖がつき、第三者の立場になって物事を考えられるようになったのはU-18の古賀(聡)監督やコーチ陣のアドバイスがあったからだと思います。U-18での3年間で精神的な面はかなり成長したんじゃないかなと自分でも思います。


1993年のJリーグ開幕は高2の時

選択肢にもなかったアカデミー(楢﨑)


楢﨑さんが高校に進学した1992年はJリーグがスタートする前年でした。Jクラブのアカデミーはどのような状況だったのですか?

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