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【わたしと、瑞穂スタジアム】vol.9 内田旭彦(クアイフ)「僕にとって瑞穂は“近いけど遠い場所”」

712月

名古屋グランパスのホームスタジアムとして愛されたパロマ瑞穂スタジアムは、

グランパスの初陣から29年に渡り、数々の名場面を生んできた。

改築工事に伴う休業を前に、“聖地瑞穂”と共に歩んだ関係者たちにインタビューを実施。

第9回は“絶対的、鍵盤系ドラマチックポップバンド”クアイフのリーダーを務める内田旭彦さんを取材し、

パロマ瑞穂スタジアムとの関わりや憧れの場所への想いを語ってもらった。


パロマ瑞穂スタジアムとの関わりについて教えてください。

内田 初めて瑞穂に行ったのは4歳か5歳の時です。父に連れられてグランパスの試合を観に行きました。1995年から2000年頃にかけて、父とは何十回も瑞穂に行きましたね。


印象に残っている選手はいますか?

内田 当然、(ドラガン)ストイコビッチ選手は印象深いですけど、僕はウリダ選手が好きでした。僕自身、「目立ちたくないけど評価されたい」という性格で(笑)、ウリダ選手は目立たない選手だけど「彼がいないとダメだ」と評価されていたんです。僕と同じ左利きということもあって、ウリダ選手が好きでしたね。


パロマ瑞穂スタジアムでの開催試合で、思い出に残っている試合は?

内田 ストイコビッチ選手のホームラストマッチ、(2001年7月に行われたJ1 1st第14節サンフレッチェ)広島戦です。ストイコビッチ選手がホームサポーター側のゴールに向かってPKを蹴ったんですけど、会場全体が静まり返り、誰もがその瞬間を見守っていたんですよ。その試合以降、何度も瑞穂で観戦してきましたが、あの時のような独特な雰囲気を味わったのは広島戦だけです。また、試合終了間際にゴールを決める姿を見て、「この人はやっぱりスーパースターだ」と思いました。当時、僕はアカデミーで10番を着けていたこともあって、その時は「自分もこうなるんだろうな」と思ったんですけど……(笑)。


グランパスアカデミーに加入して以降も、スタジアムには足を運びましたか?

内田 そうですね。アカデミーの選手は招待券をもらえたこともあり、ホーム戦によく行っていましたよ。


アカデミー時代、同期には吉田麻也選手が在籍していたそうですね。

内田 はい。同期の選手と一緒に試合を観に行くことは多かったですよ。吉田選手をはじめ、僕の代はトップチームに昇格する選手が多かったです。


その後、音楽業界でお仕事をされることになるわけですが、アルバイトでパロマ瑞穂スタジアムに行く機会があったと聞きました。

内田 そうですね。大学での4年間はグランパスの試合運営に携わるアルバイトをしました。ボールボーイや担架をやった経験があります。


アカデミーを卒業したあともグランパスに携わっていたと。

内田 「瑞穂に行きたい」っていう願望が強かったんですよね。お客さんとして行くこともできたんですけど、スタッフとして関われたらいいなと思い、アルバイトをしていました。


そういう意味では、パロマ瑞穂スタジアムに通っている期間が長いですよね。

内田 そうですね。実はJリーグが開幕した1993年にも瑞穂に試合を観に行っているんですよ(編集部注:1993年のリーグ戦は瑞穂球技場で実施)。あまり記憶はないんですけどね。Jリーグが開幕して以降、瑞穂に行っていない年はないかもしれません。


クアイフの一員として、パロマ瑞穂スタジアムでは何度かライブを行っています。

内田 一度、瑞穂は自分にとって遠い憧れの場所になったわけですけど、音楽を通じてまた戻ってくることができました。本当に「音楽を頑張ってきて良かった」と思いますね。僕らはライブをさせてもらってお客さんを盛り上げる立場ですが、「あの時に見たストイコビッチ選手の輝きに比べるとまだまだ足りないな」とも思うんです。うれしい反面、「もっと多くの人たちを魅了するアーティストにならなくてはいけない」と感じますね。


パロマ瑞穂スタジアムは2021年から改築工事を行います。

内田 6年間、瑞穂が使用されないというのは寂しいですけど、新しく生まれ変わって戻ってきてくれることがわかっているので、期待しています。やはりどのような形であっても、瑞穂は特別な場所です。なくなるのではなく“進化する”わけですから、すごく楽しみにしていますよ。


改めて内田さんにとってパロマ瑞穂スタジアムはどのような場所ですか?

内田 アカデミー時代も含めて、何度も観戦に訪れているので身近な場所ではあります。ただ、アカデミーの選手でも瑞穂でプレーする機会は少なくて、“近いけど遠い場所”なんです。それに、僕らは瑞穂でライブをさせてもらうことがあったとしても、なかなか芝の上に立つことはできないじゃないですか(笑)。だから、アカデミー時代の感覚に変わりはなくて、今でもどこか憧れていたりするんですよね。憧れの存在としてあり続けてくれるというのは、音楽をする上でもパワーになっています。僕にとって瑞穂は、“勇気をもらえる場所”ですね。