グランパスOBのセカンドキャリアに迫る新企画『OBたちが歩む道』。第1回はJリーグ開幕時に守護神を務め、指導者としてもグランパスに貢献した伊藤裕二さんにインタビューを行った。第二の人生に向けた足取りを振り返るとともに、指導者として生きる今に迫った。
インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部
はじめに、現在のお仕事について教えてください。
伊藤 中部大学第一高校の事務職員として働きながら、サッカー部の監督を務めています。2014年の2月1日に監督に就任したので、6年目を迎えたところですね。
2002年に現役を退いた後、指導者の道に進みました。
伊藤 湘南で現役を引退したあとは、グランパスのアカデミーで指導者をやらせていただくことになりました。実は湘南からも同様のお話をもらっていたのですが、長く在籍していたグランパスでお仕事をさせていただこうと。しかし、いざ契約の場に行ってみると、「トップチームのGKコーチが不在になった」と言われ、アカデミーだけでなく、トップチームのGKコーチも兼任することになったんです。昼間はトップチームを、夕方からはアカデミーを見る毎日はかなりハードでしたよ(笑)。アカデミーといっても、一部のカテゴリーではなく、小学生から高校生まですべて見ていましたからね。
指導者としてのキャリアをスタートさせたばかりの状況で、さまざまな年代を指導することに難しさを感じたのではないでしょうか?
伊藤 そうですね。私自身、現役時代にいろいろな経験をしてきたつもりで、「こんなことをやったらいいのかな」という感覚はあったんですけど、指導者として時間を過ごしていくうちに、しっかりと順序立てて選手を指導していく必要があると感じました。そういう考えがあったので翌年にクラブと話をして、アカデミーのGKコーチに専念させてもらうことになりました。その後は日本サッカー協会でU-17日本代表やなでしこのGKコーチを務めながら、指導に関していろいろなことを学んでいきましたね。
2009年にトップチームのGKコーチとしてグランパスへ復帰することになります。
伊藤 (ドラガン)ストイコビッチがグランパスの監督に就任した次の年に声を掛けてもらいました。2009年から5年間、ストイコビッチが監督を退任する2013シーズン終了までグランパスでトップチームのGKコーチを務めさせてもらいました。
グランパスを退団した後、どのような経緯で現職に就いたのでしょうか?
伊藤 グランパスを離れることが決まった際に、当時中部大学第一高校の校長をされていた方から「サッカー部の強化をしたいから、力を貸してくれないか」とお話をもらったんです。私自身、育成年代の指導に関わることが好きでしたから断る理由はありませんでした。自宅から10分ぐらいの場所にある高校でしたしね(笑)。誘っていただいたことをありがたく思い、お話を受けることにしました。
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