NGE

THEDAYS 青木亮太 Chapter05 最終回

44月

選手が歩んできた道のりをを辿る『月刊グラン』の人気連載企画「THE DAYS」をINSIDE GRAMPUSで再掲。

今回は記念すべき連載第一回、青木亮太選手の連載をお届けします。


THEDAYS 青木亮太  Chapter05(2017年5月号)

 流通経済大学付属柏高校3年になった青木亮太は2013年、高体連チームとして初の高円宮杯優勝に導いた。翌年、グランパスに加入した青木はプロ2年目に大けがを負うが、懸命のリハビリで復帰する。(敬称略)


文・長坂英生


反撃の冬


 その「事件」が起きたのは2013年秋のことだった。

 このシーズン、流経大柏高は高い個人技をベースにしたパスワークで春から快進撃を続けた。高校3冠も夢ではなかった。

 ところが、相手チームの研究が進み、夏を過ぎると自慢のパスワークが封じられた。その結果、インターハイ、選手権をのがし、残るタイトルは高円宮杯だけとなった。

 高円宮杯プレミアリーグ東地区で流経大柏高は首位を走っていた。このままフィニッシュすればチャンピオンシップに進出できる。

 チャンスはまだある。しかし、2冠をのがしたチームには沈滞ムードが漂っていた。

 その日も学校横の専用グラウンドでチーム練習が始まった。しばらくすると、ひとりグラウンドを去り、クラブハウスに引き揚げる選手がいた。

 青木亮太だった。

 エースの異変に気づいたヘッドコーチの榎本雅大は選手の一人に「呼んで来い!」と命じた。

 戻ってきた青木に榎本が理由を聞くとエースは言った。

 「まだ、高円(宮杯)がある。全国優勝のチャンスがあるのに、みんなチンタラやっている。耐えられません」

 泣いていた。

 「だったら、みんなに言えよ!」

 榎本は青木の気持ちが理解できた。しかし、エースの勝手な行動は誤解を生むだけだ。

 練習後、選手ミーティングを行った。選手だけで行うミーティングは流経大柏高サッカー部では年1、2回しか行われない。しかも、こうしたケースでの話し合いはまれなことだった。

 青木が、思いのたけを話した。

 「3年間、サッカー部で頑張っていても公式戦に出られない選手がいる。Aチームの選手は奴らの分まで頑張る必要があるんじゃないのか!まだ、タイトルは残っている!やる気がないんなら、やめろよ!」

 チームメートたちもそれぞれ、自分の気持ちをありのままに話した。

 ミーティングは1時間に及んだ。その後も、もたつきはあったがチームは最終節で高円宮杯東地区の優勝を果たした。

 2013年12月15日、埼玉スタジアム。高円宮杯チャンピオンシップは東地区優勝の流経大柏高と西地区優勝のヴィッセル神戸の対戦となった。

 選手権を逃した流経大柏高にとってはシーズン総決算のゲームとなった。テクニカルなスタイルを投げ捨てて、選手らは闘志を前面に出してファイトした。

 前半38分に主将の石田和希のゴールで先制。しかし、後半のアディショナルタイムに同点に追いつかれ、延長でも決着がつかずPK戦に突入した。

 「PKの練習はかなりやっていたので、PK戦になればしめたもの、と考えていました」と榎本は振り返る。

 ただ、危ないシュートが続いた。3番手の青木もバーに当たって入る冷や汗もののシュートだった。それでも流経大柏高は5人全員が決めて、1人外したヴィッセルを制して栄冠を手にした。高円宮杯がチャンピオンシップ制度になって初めての高体連チームの優勝だった。

 5人目のキッカー石川将人がゴールにボールを突き刺し、優勝が決まると青木はピッチからベンチに走り、本田裕一郎監督に抱きついた。

 そして、流経大柏高の選手たちが喜びを爆発させるなか、青木は泣き崩れるヴィッセルの選手に近寄り肩に手を置いて健闘をたたえた。

 敵も味方も裏方も分け隔てなく、サッカーに情熱を燃やす人々をリスペクトする青年は、そのとき相手選手にかけた言葉を覚えていない。




苦闘


 「素直にうれしいです。ビッグクラブで尊敬する選手ばかり。サポーターも熱い。こういうチームに行きたいと思っていました」―。

 2014年1月19日、名古屋市中区の伏見ライフプラザで開催されたグランパス新体制発表会。青木は笑顔で抱負を語った。

 小学生時代からプロにあこがれるようになったが、高校2年でそれは具体的な目標になった。高校3年の夏、インターハイ終了後にJ2ジェフ千葉とグランパスからオファーがあった。より高いレベルで勝負したい。J1(当時)のグランパスに心は傾いた。

 「勝負どころで得点できなければプロで通用しない」―。高校の恩師から、そう発破を掛けられ続けた。3年時の高円宮杯プレミアリーグ東地区で15得点を挙げたのも常にゴールを意識したからだ。

 2014年シーズン、実績のある西野朗氏を新監督に迎えたグランパスは大量補強に踏み切った。ことに攻撃陣は多彩だった。

 移籍組はFW野田隆之介、MF枝村匠馬、へジス。新人はFW松田力、小屋松知哉、杉森考起、MF矢田旭、森勇人、そして青木亮太―。

 サッカーエリートが集まるプロ。ライバルも多い。不安がないと言えばうそになる。だが、青木は1年目からゲームにからむつもりだった。同年代の関根貴大(現浦和レッズ)らがすでにトップチームで活躍していたことも闘志に火をつけた。

 1年目。春のキャンプでは想像通り技術、体力ともレベルの差を感じた。ただ、自分の持ち味を捨てる気はなかった。

「高校では低い位置からでもドリブルを仕掛けました。でもプロはそんなに甘くない。自陣でのミスはチームの命取りになるから状況を判断して、仕掛ける位置を常に考えるように心がけました」

 ゴールを常に意識して、最短でゴールにいけるプレー、敵も観衆も驚かせるプレーを目指して懸命にアピールした。

 公式戦デビューは3月19日、ナビスコ杯・ヴァンフォーレ甲府戦だった。右サイドで起用された青木は「緊張して、自分のプレーが出せなかった」と振り返る。リーグ戦4試合にも出場してルーキーイヤーを終えた。

 「思ったほどゲームに出られず満足はできませんでした。シーズン終盤にはプロのサッカーに慣れてきたので、もっと早く慣れていれば自分の持ち味が出せたのにと悔しかったです」

 青木がもっとも戸惑ったのは、天然芝だった。高校時代は人工芝で練習することが多く、ボールが転がりにくい天然芝はドリブラーの青木にとって慣れるのに時間がかかった。

 それに慣れた2シーズン目はキャンプから好調だった。プレシーズンマッチで主力チームに入り、得点を挙げるなど新シーズンへの夢を膨らませた。

 ところが、アクシデントが襲う。

 2015年シーズン開幕を1週間後に控えた3月1日。この日、トヨタスポーツセンターでトップのサブチームとグランパスU-18チームの練習試合が行われた。

 前半20分を回ったころだった。相手の後ろからボールを取りに行った青木は足を滑らせ転倒した。左ひざに激痛が走る。呼吸ができない。「やばい!」と思った。

 2日後、診断結果が出た。「左ひざ前十字じん帯断裂および外側半月板断裂。全治8カ月」―。

 「やった瞬間、大けがは予想できたので落ち込みました。診断が出たときも『マジかあ』と思いましたけど、すぐに、とにかく治すしかないと開き直りました」

 手術後、入院。入院中も過酷なリハビリが待っていた。歩けるようになり退院したのは5月。その後も軽いランニング、ステップなど復活に向けて体を動かす日々が続いた。

 ボールを触っても良いとGOサインが出たのは2016年3月。けがから実に1年を経過していた。

 「ボールを触れるようになったときは、うれしかったですね。けがをしてから、嫌な気持ちになると思って、好きなサッカービデオもずっと見ませんでした。ただ、これだけボールを触らなくても身に着けた技術は落ちないと聞いていたので、それだけが救いでした」

 この年の9月、チームに合流。10月29日、ヴィッセル神戸戦に途中出場。地獄を見た男の反撃が始まった。




逆襲のステップ


 多くのサッカー選手にとって、大きなけがは精神的な成長をもたらす。

 流経大柏高サッカー部のヘッドコーチを務める榎本も青木の変化を感じた一人だ。

 青木はプロ入り後、正月が明けたころに一人で同高サッカー部の専用グランドに現れ、トップチームに交じって練習をするのが年中行事となっている。近くのホテルに宿泊し、1週間ほど滞在して高校生たちと汗を流す。

 多くのプロ選手を輩出した同高サッカー部では、青木同様にシーズンオフに練習に参加するOBのプロ選手はいるが、せいぜい1日か2日のことだ。1週間も滞在して練習に参加する律儀な男は青木以外いない。

 「青木は、えらいよな、って本田先生(監督)といつも話しているんですよ」と榎本は笑う。結果的に、プロ入り後も青木の成長を間近に見てきた榎本はこう話した。

 「プロになってからの彼は何事にも前向きですね。そして、けがをしてからは『多くの人のおかげでサッカーをさせてもらっている』と考えるようになった。そこが大きな変化ですね」

 2017年シーズン。風間八宏新監督のもと、青木は次第に本領を発揮し始めた。

 サイドハーフ、ボランチ、サイドバックとポジションはさまざまだが、先発レギュラーをうかがう位置につけている。シーズンが深まるにつれて、その独特のドリブルとパスは輝きを増してきた。

 和泉竜司、杉森考起らグランパスの次世代を担う選手たちとピッチで奏でるハーモニーは魅力的だ。それはまだ、偶然重なった小鳥たちのさえずりのように、わずかな時間帯でしかないが、近い将来、交響曲となってピッチに響き渡ることを予感させるのだ。

 東京ヴェルディジュニア時代の指導者、永田雅人(現・日テレベレーザ監督)は、青木が観るものをファンタジーの世界に連れて行ってくれる才能の持ち主だと考えている。

 永田は「亮太に会ったら、僕がこう言っていたと伝えてください」と言って、取材に訪れた記者にメッセージを託した。

 その言葉を、本誌からも贈ろう。

 「亮太!面白いプレーをみんなに見せてやれ!」

             (THEDAYS青木亮太おわり)




現在販売中の『月刊グラン』4月号では、相馬勇紀選手の「THE DAYS」が連載スタート!

ぜひ、名古屋グランパスパートナーの「三洋堂書店」や大須商店街の「クラブグランパス」店頭でお買い求めください。