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【OBたちが歩む道】飯島寿久さん(サッカー指導者、CAFE「寿樹」経営者)「10年後の自分たちを見据えて」

1211月

グランパスOBのセカンドキャリアに迫る『OBたちが歩む道』。第2回はJリーグ開幕から9年に渡ってグランパスでプレーし、現役引退後はコーチとしてJリーグ優勝に貢献した飯島寿久さんにインタビューを行った。指導者に加えて、喫茶店経営者として二足のわらじを履く飯島さんの今に迫った。


インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部



はじめに、現在のお仕事について教えてください。

飯島 今は喫茶店経営とサッカースクールでの指導がメインです。日本サッカー協会が行っている「夢の教室」という事業の先生として、全国各地で夢についての授業をすることもありますね。そのほかにはDAZNでの解説、伊藤裕二さんが指導している中部大学第一高校や豊田市のクラブチームでU-15世代の外部コーチもやらせていただいています。


2002年に現役を退いた後、指導者としてセカンドキャリアをスタートをさせました。

飯島 僕は10年先のことを考えるようにしていて、現役の頃から「10年後に選手としてピッチに立っていられるか」と不安がありました。サッカーを続けられなくなった時の居場所を作っておかなくてはいけないなと。1996年に選手協会が立ち上がったタイミングで、初めて指導者ライセンスの講習に参加しました。選手会のほうから、各チームから数名ずつ指導者ライセンスの講習に参加できると聞いて、もともと指導者の道にすごく興味を持っていたこともあり、行かせてもらいました。現実的に指導者のキャリアを考え始めたのは、グランパスを退団する年の半ばころ。29歳の時でした。自分が試合に出られなくなってきて、来年からなにをしていくべきか考えるようになりました。


グランパス退団後、すぐに指導者に進むのではなく、川崎Fと福岡で1年ずつプレーを続けました。

飯島 2000年にグランパスを退団する時に、クラブから指導者の話をいただいていたんです。でも、フロンターレからも打診があって。「キャリアの終盤でもう一度花を咲かせよう」というよりも、「後世に伝えられるものを増やしていけるはずだ」という想いで、フロンターレとアビスパで1年ずつ現役としてプレーしました。選手でありながら指導者としての視点を持ってプレーしたことで、すごくいい勉強ができた2年間になりました。それまでグランパスのことしか知らなかった人間が違う環境に行ったことで視野が広がり、グランパスがいかに恵まれた環境にあるチームなのかに気づくことができました。

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