4月20日に行われたJ1第11節のサンフレッチェ広島戦で、J1リーグ通算200試合出場を達成したマテウス カストロ選手にインタビューを実施。2014年8月にスタートした日本でのキャリアを振り返りました、
インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部
4月20日、豊田スタジアムで行われた2025明治安田J1リーグ第11節のサンフレッチェ広島戦で、J1リーグ通算200試合出場を達成しました。家族や友人たちとお祝いをしましたか?
マテウス 妻と息子、通訳のトニー(佐々木トニーユタカ)とその家族、友人たちと集まって、大好きな焼肉をみんなでいっぱい食べました(笑)。サウジアラビアのクラブからグランパスに復帰して以降初めて豊スタでゴールを決められて、勝利に貢献できてすごく良かったし、グランパスのユニフォームを着て記録を達成することができたことが何よりもうれしかったです。
あらためてマテウス選手のJリーグでの足跡をたどると、2014年8月に大宮アルディージャへの期限付き移籍で来日し、日本でのサッカー人生をスタートさせました。当時はまだ19歳でしたね。
マテウス 日本に到着した日は僕にとって特別な日でした。自分の人生がこれからどうなっていくのかすごく不安で、1年後はどんな選手になっているのか、さらに10年後はどこでどんなことをしているのか、本当に想像もつかなくて不安だらけでした。でも、それと同じくらい、「日本でプレーできるチャンスをつかんだんだ」というワクワク感が強かったことを覚えています。
ところが、1年目はリーグ戦での出場はかなわず、天皇杯の1試合のみの出場に終わりましたね。
マテウス 覚悟はしていましたが1年目は本当に厳しかったですね。自分が想像していた1年目とは全く違った結果になり、毎日悔しい思いをいっぱいしていました。出場できたのは天皇杯準々決勝のガンバ(大阪)戦だけ。あの試合のことは今でもよく覚えています。ベンチスタートとなり、試合終了間際にわずか2分だけチャンスをもらい出場しました。短い時間だったけど、自分にとってすごく大事な試合になっています。1年目はつらいシーズンになりましたが、諦めずに全力で練習に取り組んだからこそ、ガンバ戦で出場できたと思っています。シーズン終了後にブラジルのクラブ(ECバイーア)に戻ったのですが、翌年、もう一度期限付き移籍で大宮に加入することができ、すごくうれしかった。1年目と同じことは繰り返したくない。今度こそチャンスをつかもうと必死でした。
2015シーズンは7月に大宮に再加入し、J2で5試合に出場しました。そして、2016シーズンにJ1でのデビュー戦を迎えています。試合のことは覚えていますか?
マテウス うーん、それがあまり覚えていなくて……。ごめんなさい(苦笑)。
1stステージ第2節の柏レイソル戦で88分に交代出場しています。では、J1初ゴールは記憶に残っていますか?
マテウス たぶん、アウェイでの浦和(レッズ)戦(2ndステージ第4節)ですよね。それは思い出しました。自分の得意な形に持ち込んで、左足で同点ゴールを決めました。
大宮では19歳から23歳の時期を過ごしました。年を追うごとにどんどんと成長できた要因は何だと考えていますか?
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