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【インタビュー】佐藤寿人「“名古屋の主将”への変貌」

212月

「自分自身が殻を破らなければダメだと感じた」

2017年12月3日。4万人に近い観客とともに、

大合唱する名古屋グランパスの選手たちの姿があった。

今までにないこの光景は、“主将・佐藤寿人”が創り上げた。

すべては、ファン・サポーターと喜びを共有するためにーー。


インタビュー・文=INSIDE GRAMPUS編集部




本日、2018シーズンのキャプテン就任が発表されました(取材日:2018年2月8日)。そこで、今日は佐藤選手の思い描く“キャプテン像”について聞かせてください。今でこそ“佐藤寿人=キャプテン”というイメージは定着していますが、若手時代には佐藤選手ご自身が「この人こそキャプテンだ」と感じていた選手がいるのではないでしょうか?

佐藤 僕はサッカーを始めた時から、常に双子の兄の勇人と一緒にやってきました。僕はずっとFWとしてプレーしてきて、いつもパスを要求する側。チーム全体のことよりも、自分が点を取ることだけを考えていました。だから、MFの勇人がキャプテンを任されることが多かったですね。僕が初めてキャプテンを任されたのは、高校3年のジェフのユース(当時:ジェフユナイテッド市原ユース)の時なので、それまでキャプテンというものは、サッカーをしている時の兄の姿が思い浮かびました。兄は中盤の選手だったので、プレーの時も前と後ろのつなぎ役。前と後ろの選手の言い分をそれぞれ聞いて、チームのバランスをうまく取っていましたね。


サンフレッチェ広島でキャプテンを任されるまでは、中西永輔さんや森保一さん、戸田和幸さんと、MFやDFの選手が主将を務めているチームに在籍していました。FWの選手である佐藤選手がキャプテンを務めるにあたって、どのようにキャプテン像を作っていったのですか?

佐藤 正直に言うと最初は悩みましたし、実際に難しかったですね。広島ではその当時、青山(敏弘)、槙野(智章)、柏木(陽介)といった伸び盛りの若手が在籍していました。キャプテンになってみると、若い彼らに自分の考えを伝えることや要求することが必要でしたし、キャプテンとして彼らの考えを聞くことも必要でした。また一方で、FWの一選手として彼らに要求したいこともありました。それまでは一番前でゴールを奪う役割だけを担ってきていましたけど、キャプテンとしてチームのバランスを見るという役割も加わったんです。葛藤が生まれましたよ(苦笑)。若い選手の考えや気持ちを汲みつつ、チームと自分のバランスを整えていくことは難しかったです。だから、最初はFWとしての自分の要求を意識的に抑えていました。若い選手が自信をつけてきた時に、ようやく対等にというか、遠慮なく要求するようになりましたね。

(残り: 3398文字 / 全文: 4519文字)

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