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【わたしと、瑞穂スタジアム】vol.4 YO!YO!YOSUKE(名古屋グランパス スタジアムDJ)「僕はいつも瑞穂と共にあった」 supported by 有限会社ケーフォー

2611月

名古屋グランパスのホームスタジアムとして愛されたパロマ瑞穂スタジアムは、

グランパスの初陣から29年に渡り、数々の名場面を生んできた。

改築工事に伴う休業を前に、“聖地瑞穂”と共に歩んだ関係者たちにインタビューを実施。

第3回は2007年から名古屋グランパスのスタジアムDJを務めるYO!YO!YOSUKEさんに、

パロマ瑞穂スタジアムでの思い出について語ってもらった。


パロマ瑞穂スタジアムは改築工事に伴い、6年間休場となります。

YO!YO!YOSUKE 名古屋市で行われるホームゲームがなくなってしまうのはやはり寂しいですね。もちろん、豊田スタジアムはすごくいいスタジアムで、サッカーをする環境も素晴らしいですけれど、“名古屋グランパス”というチーム名ですから。6年間というのは結構長い期間ということも含めて、すごく寂しいです。


“パロマ瑞穂スタジアム”と聞いて思い出すことは?

YO!YO!YOSUKE サッカー部に所属していた高校時代、自転車で瑞穂に試合を観に行っていましたね。本山や四谷通りあたりのアップダウンの激しい道を越えて。その時はケン・マスイさんがスタジアムDJをされていて、すごくかっこいいなと思っていました。ちなみに瑞穂は、僕がこの業界に入ってから受けたオーディションの場で、実技テストを実施した場所なんですよ。初めてピッチレベルに立って、すごく興奮しましたね。オーディションでは、オーロラビジョンに流れる映像に合わせて、背番号とポジション、名前を読み上げました。ナラさん(楢﨑正剛クラブスペシャルフェロー)の名前を呼んだことは今でも覚えていますね。手応えはなかったです。思いのほか、緊張していましたから(笑)。ただ、面接で猛アピールしたこともあって、合格することができたんですよ。ここまでしゃべっていいのかわからないですけど、その時のオーディションを受けていた人たちはほかの地方から来ている人が多く、地元出身は僕だけという状況で。「実技の結果で判断されてはまずい」と思っていたこともあって、面接では「どこにでも行きます、なんなら自転車で行けます!」、「昔からグランパスが大好きです!」と、とにかく地元に住んでいることを全面に出してアピールしましたよ(笑)。


2007年から名古屋グランパスのスタジアムDJを務めることになります。

YO!YO!YOSUKE 皆さん、覚えていないかもしれないですけど、クラブの方針もあって初年度はスーツでスタジアムDJをしていました。前任の方からスタジアムDJを継ぐタイミングで、「スポーツキャスターのようなスタジアムDJにしよう」という話が出たんです。僕はサラリーマンとして働いたことがなかったわけですから、すぐに洋服屋さんに行って、25歳にして初めてリクルート用の3点セットを購入しましたね(笑)。


当時は体型がシュッとしていましたよね(笑)。

YO!YO!YOSUKE それは言わないでください。そのとおりですけど(笑)。


スタジアムDJを担当して14年が経ちますが、ご自身にとって一番の思い出と言えば?

YO!YO!YOSUKE 記憶が曖昧なんですよ。「あの時はこうだったね」と言う時の“あの時”がズレていたりするので(笑)。その中でも、印象深いのはACL(AFCチャンピオンズリーグ)に出場したシーズンです。グランパスが瑞穂で国際大会に臨んだわけですからね。当時の監督はストイコビッチさん。吉田麻也選手や小川佳純選手が若手と言われていた頃ですね。彼らとは仲良くさせてもらっていたこともあり、試合に勝った時はめちゃくちゃ喜びましたよ。吉田選手をはじめ、成長していった選手たちの原点を一緒に過ごせたことは思い出に残っています。また、瑞穂では突拍子もない企画をたくさんやった記憶もあります。監督を務めていたストイコビッチさんが、革靴でロングシュートを決めた試合があったじゃないですか。そのシーンを受けて、マドラスさんが「革靴でゴールを決めたらマドラスのシューズをプレゼント」という企画をやったんですよね(笑)。瑞穂はファミリーの方々と近くで接することができることできるスタジアムで、試合後にゴール裏へ行って皆さんに挨拶をしたこともありました。ファミリーの皆さんと深いコミュニケーションを取れるスタジアムですから、休場となってしまうのはやはり寂しいですね。


“ご自身を育ててくれた場所”という感覚はありますか?

YO!YO!YOSUKE タレントキャリアのほとんどを占めている場所です。僕はいつも“瑞穂と共にあった”というか。ちなみに僕、本当に自転車で通っていたんですよ(笑)。週末は友人が送り迎えをしてくれていたんですけど、平日は自転車で行っていましたから。誰かに見られると嫌なので、フードをかぶりながらスタジアム入りしていましたね(笑)。もちろん、試合後もフードをかぶってスタジアムを出ていました。ファミリーの方に混ざり、「ああだったよな、こうだったよな」っていう試合の感想を聞きながら、駐輪場に行くっていうね(笑)。それも瑞穂だからできたことだなと、改めて思いますね。





「ありがとう、瑞穂。」メインパートナー紹介③ フォレスト調剤薬局(有限会社ケーフォー)




2003年11月7日設立。代表取締役を務める瀨沼憲司氏がグランパス創設時からのサポーター。2011年よりグランパスとパートナー契約し、今年で10年目に突入した。ケガ人を乗せる担架には社名ロゴが掲出されている。