選手が歩んできた道のりをを辿る『月刊グラン』の人気連載企画「THE DAYS」をINSIDE GRAMPUSで再掲。
今回は記念すべき連載第一回、青木亮太選手の連載をお届けします。
THEDAYS 青木亮太 Chapter03
2006年春、小学5年生になった青木亮太は名門・東京ヴェルディの下部組織に加入した。選手の個性を伸ばす指導者のもとで才能を磨いた青木は国内外の大会で関係者を驚嘆させる。
文・長坂英生
タレント軍団
5歳で始まった青木亮太のサッカー人生は地元・鶴川FC時代―東京ヴェルディジュニア・ジュニアユース時代―流通経済大学柏高校時代―名古屋グランパス時代に大別される。
このうち、青木自身が最も重要な時代だったと振り返るのが東京ヴェルディジュニア時代だ。
「あそこで練習していなかったらドリブルとテクニックを持ち味とする選手にはなっていなかったですね。うまい選手に交じってサッカーについてたくさんのことを学び、強いチームと対戦する機会が増えました。その中で自分の武器をどう出していくかということを追求するようになりました」
青木亮太の「骨格」をつくったヴェルディジュニアの日々はどのようなものだったのか―。
2006年春、東京ヴェルディのジュニアに加入した小学5年生たちは個性豊かなタレント集団だった。
エースとなる高木大輔(現ガンバ大阪)ら、すでに中学生のような体格と力強さを持った選手や抜群のスピード、あるいは技術を備えた選手が集まった。
3月6日の早生まれ。ほとんど1学年したといってもいい青木亮太は、彼らに交じるとひときわ小柄だった。猛者の集団に飛び込んだ青木は、自らが生き残るすべを即座に理解した。
「自分はめちゃくちゃ足が速いわけではないし、小っちゃかった。だけど、テクニックはずっと磨いてきたので、そこで勝負しようと思いました」
よみうりランドでのチーム練習は週2回だった。プロのコーチによる密度の濃いトレーニングの中で、少年たちは磨かれていった。互いに意識し合うことで、持ち前のサッカー感覚を研ぎ澄ませていった。彼らに負けまいと、青木は練習のない日は自宅近くの田中前公園で個人練習を続けた。
6年生になると永田雅人(現・日テレベレーザ監督)がチームを指導することになった。永田はセレクションのときから青木の高い技術に注目していた。
「青木は、5年生の1年間で順調に成長しました。6年生になって大きな子と比べると体格差はさらに広がりましたが、それを感じさせなかった。どんなゲームでもアベレージの高いプレーして、大きな大会でも緊張せず、その状況を楽しんでいるようなところがあった」と永田は振り返る。
永田は青木ら6年生チームで4―3―3システムを用いた。そして、そのサイドバックに青木を起用する。青木にとっては初めてのポジションだった。
ダニエウ・アウベス
永田にとって、サイドバック・青木のイメージは「影のゲームメーカー」だった。
3トップに足が速く、屈強な選手をそろえ、サイドバックは高い位置で周囲の状況を見ながら攻撃参加する。前線が攻撃に勇み立つときも、冷静な判断で「時間」と「スペース」をコントロールして決定機を演出する。
その役はチーム屈指のテクニックと視野の広さを持つ青木こそが適任と永田は考えた。
「技術と判断力に加えて、ドリブルとランニング能力の高さが青木の特徴。だから、前方のスペースを見つけやすいサイドバックに置けば持ち味を発揮させることができると思いました。前線にはボールを持てる子がそろっていたので、彼らにボールを預けて攻撃参加もできる。実際にやらせてみると楽しいサッカーをしてくれました」
永田は成長途上にある選手の育成にあたり、チームの中で選手の特徴をどう生かすか、そして、選手にとって最も有効なアドバイスと、それを伝えるタイミングを常に考えて指導した。
そのツールの一つが海外の一流プレーヤーのDVDだった。個々の選手の個性・特徴に合わせてイメージすべき海外選手のプレーを個別に集め、時機を見て一緒に観てアドバイスした。
技術に優れた青木にはブラジルの選手たちのDVDを見せた。なかでも、同じサイドバックのブラジル代表ダニエウ・アウベスのプレーは繰り返し見せて、攻撃参加のタイミングや相手のかわし方などを細かく指摘した。
これが、青木の成長の肥やしとなっていく。
「その前から、海外サッカーのDVDなどは見ていましたが、永田さんに見せていただいてから、さらに興味を持つようになりました。ロナウジーニョやロビーニョ、メッシ…。DVDで見た選手のドリブルやフェイントなどを練習で真似したり、スペースにパスを出すタイミングを覚えたりするようになりました」
個性派集団の中で、青木は「こいつらには絶対負けたくない」と自らの武器を磨き続けた。それは、チームメートも同じだった。
永田が作り上げた東京ヴェルディジュニア6年生チームは2007年シーズン、数々のタイトルを獲得する。このシーズンの同年代の最強チームだった。Jクラブのチームだから、タイトルにのみこだわったわけではない。
「勝利よりも選手が上手くなることを目指して、ゲームでも良いプレーをすることにこだわりました。圧倒的にボールを保持して、たくさんのゴールを挙げることが目標。それを表現できる選手が多かったからタイトルもついてきたと思います」
永田はそう振り返る。「不沈戦艦」の中で青木は異彩を放った。
オーバーラップしてタテへの突破を図るかと思えば、中央に切れ込んでキープ力のある前線とのパス交換から2対1の数的有利をつくりアシストを重ねた。
「攻撃ではチームに柔軟性を与えた。相変わらず小柄だったが、状況判断の良さから守備も上手かった」と永田は話す。
ポジショニングが良く、味方が抜かれたときも先取りした青木が、何事もなかったように立ちはだかっていた。ハイボールにも先回りしてヘディングで跳ね返した。パスカットも多く、ボールを持った相手には低い姿勢で対応するなど1対1にも強かった。
8月-。東京ヴェルディジュニアは小学生年代のビッグタイトル・全日本少年サッカー大会で鹿島アントラーズジュニアを延長の末、2―0で破り優勝を果たした。
ただ、青木は「優勝したことはチームの一員としてうれしかったが、自分の力で勝てたわけではない」と悔しさをにじませて振り返る。
「サイドバックですが、永田さんからは『点を獲れ』と言われてゲームに臨みました。だからゴールを意識してプレーしましたができなかった」
そのことが悔しかった。
だが、この大会後、青木のプレーが関係者を驚かせる。
驚愕
全日本少年サッカー大会から3日後、青木ら東京ヴェルディジュニアチームはブラジルに遠征した。チームは現地でサントスFC、サンパウロFC、パルメイラスといったサッカー王国の強豪チームの下部組織と親善試合をすることになった。
下部組織といっても各クラブには小学生年代のチームはなく、青木らは中学生年代のチームと対戦することになった。
対戦を終えて監督同士が互いの健闘をたたえ合った。そのとき、各相手チームの監督が口をそろえて絶賛したのが青木のプレーだった。
「あの2番(青木の背番号)はすごいな」
永田から伝え聞いた青木は憧れのブラジルサッカーの指導者たちに認められたことがうれしかった。
「なかなか本場のチームと試合をする機会はなかったので良いところを見せたいと思って臨みました」と青木は振り返る。「相手は中学生年代なので僕たちよりも体は強いし、足が速い。ただ、個人的には技術では負けなかったという手ごたえはありました。ゲーム後に永田さんから相手チームの監督の評価を聞いて、すごくうれしかった。レベルの高いブラジルのチームともっと勝負できるようにレベルを上げようと思ったことを覚えています」
翌年の1月。今度は永田が青木のプレーに驚愕する。
全日本少年フットサル大会(バーモンドカップ)の決勝に進んだ東京ヴェルディジュニアは津ラピドFCと対戦した。
この試合で青木は水際立ったプレーをみせる。
ボールを持っていないときに周囲の状況を的確に判断して細かくポジションを修正。フェイントで相手選手はあっという間にはがされた。裏を取る。いなす。スペースに入っていく。それを継続する―。
「驚愕、でした。青木の高い技術は身近で見てきましたが、これほどとは…。私は長年多くの小学生年代の選手を指導してきましたが、青木のような選手を探して来いと言われても、なかなかできないでしょう。ほめすぎと思われるかもしれませんが事実ですから…」
実は青木は、フットサルの経験はなかった。ただ、ふだんから練習でのミニゲームが大好きだった。子どものころのように、互いが技術を駆使してボールを奪い合うことができるからだった。
子どものようにサッカーを楽しむ―。それは、永田が青木に対してずっと抱いてきたイメージだ。
後に青木が流通経済大柏高校に在籍していたときのこと。永田が所属クラブのチームを率いて練習試合に同校を訪れた。するとグラウンドの片隅で見慣れた少年の姿を見つけた。青木だった。同校のエースに成長していた元教え子は、GK役になり無邪気な笑顔を浮かべてチームメートの遊び半分のシュート練習に付き合っていた。
「やってるな。相変わらず」
その表情、しぐさはサッカーを楽しんでいた小学生時代と変わらなかった。永田も愉快な気分になって、笑いが込み上げてきた。
永田は、青木が日本を代表するサイドアタッカーになる才能があると信じている。ただ、「青木に試合にたくさん出てほしいとか、日本代表になってほしいとは望まないんですよ」と意外なことを口にする。
「それよりも、彼の素晴らしい才能、目立たないけど細かい部分での彼の良さに気づき、彼の才能を伸ばし活かしてくれる人と出会ってほしいとずっと思ってきました」
あまたの選手の中から、青木のきらめく才能を見つけてほしいと思ってきた。そして、いつ、どこで再会しても、「どう? サッカー、楽しんでる?」と問いかければ、「楽しいです!」と青木が笑顔で応えてくれること。
それが、永田の願いだ。
(次号に続く)
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